恒川光太郎『雷の季節の終わりに』『草祭』『秋の牢獄』

 この三冊は、それぞれ長篇、連作短編集、短編集である。
 『雷の季節の終わりに』はジュブナイルで、少年の季節の変転を描いている。風わいわいという精霊に恒川らしい味があるが、ごく普通のライトノベル風ファンタジーである。『草祭』は不思議なことの起きる美奥という町を舞台にしたもので、前ページで『球形の季節』の名を挙げたけれども、その第一話がそれをもろに想い出させる話だった。二話め以降も既視感があるが、しかしそれにしてもよくできていて、個人的には「風の古道」の次にこの作品が気に入った。
 最終的に、やはりものすごく素晴らしいということはなく、しかし読んで裏切られたという感じはなく、ごく一般的に、ホラーではなくファンタジー幻想小説の好きな人にお勧めできる作品だと思った。文章も読み心地が良く、稀に狂う程度で、これといった瑕瑾がない。
 全体の印象は、ダーク・ファンタジーという便利な言葉があるが、そんな感じである。日本を舞台に、いかにも日本的な背景で描いているが、むしろ英米のファンタジーを読んでいるような感じだった。ストラウブとかマキャモンとか。
 また、どの作品にもなんとはない既読感がつきまとい、恒川らしさみたいなものは何かというとよくわからない印象があるが、ウェルメイドなエンターテインメントではある。
 ただ、ホラー系の要素がほとんどが変態殺人系列のものであるというのが、どうかと思う点だ。
 『雷の季節の終わりに』では、仇とも言うべき敵がそうだし、『草祭』で町の創始者が出会う敵も、一度も姿を見せないが、そう。「風の古道」でもそうだし、短篇「神家没落」もそう。「秋の牢獄」の超自然的怪異までそれに類するモノに見えてきてしまう(実際は違うのだが)。ホラーの要素なんぞは無理して入れなくても良いのでは、とも思うが、取った賞がホラー大賞だから、そういうわけにもいかないのだろうか。あるいはこんなところも持ち味ということだろうか。
 ともあれ、ミステリとSFがほぼ入っていない、怪奇幻想の作品を専らとする人という感触を持った。例えば「秋の牢獄」は「リプレイ」タイプの短篇だし、「幻は夜に成長する」は超能力者の話だが、SFにはもっていかない態度を貫いていて、感慨深かった。
 ライトノベル風といったが、ライトノベルは多くの場合SFに近接していて、幻想的なものへの迫り方が弱い。その点では恒川作品はライトノベルではなく、もっと別の方向へと伸びていく可能性があり、実際に『草祭』はそれを見せたと言っても良いだろう。
 直木賞候補になったということだが、北村薫が今さら直木賞を受賞し、「風の古道」のような作品に芥川賞を挙げられないところに、日本の文壇というところのダメさがあるのである。