ヘルマフロディテの体温

 この作品は、話中和として語られている両性具有神の挿話を除けば、ファンタスティックなところはなく、そうした枠中話もただの創作として入れ込まれているだけであるため、ファンタジーとは言えない作品である。いわゆる耽美でもない。

 まずは出版社の紹介文にケチをつけよう。こうした惹句に騙された私も悪いが……。この惹句はウソではないが、歪めて伝えている。

〈ある日、母が「男」になった。それが始まりだった。〉
 語り手=主人公シルビオの母親は失踪し、やがて性転換手術を受けて戻ってきた。妻として暮らし、子供まで産んで、しかも肉体的にも転換するというのは私にはよくわからない。シルビオにも理解不能である。

〈以来、シルビオの世界は少しずつゆがみはじめた。人に言えない悪癖にとりつかれ、他者と交わることもできなくなったシルビオ。〉
 自己をはなはだしく抑えるようになっており、優等生を演じている。生活は普通にしているので、引きこもりでも何でもない。大学生になってからは、いなくなった母親を埋めるように、異性装にのめり込む。

〈そんなとき、背徳と情熱の町ナポリで男でもない女でもない、謎めいた大学教授に出会う。〉
 ナポリ医科大学に通うシルビオは、ゼータというユニークな名前の教授(産婦人科泌尿器科)の授業を受けるが、彼は性転換手術の権威であり、シルビオの母親も担当していて、その写真となどを授業に使った。また真性半陰陽(ただし女性・男性どちらの機能も不全)であることを公言している。

〈教授の出す奇妙な課題はさらに尋常ならざる世界へとシルビオをいざなう…。〉
 シルビオに異性装者、性転換者、半陰陽についての調査をさせる。そして触発されたところから物語を作らせる。その物語がファンタジーになっているものもある。……これはまったく尋常で、独りで自分の異性装を鏡に映してマスタべーションをするよりもよほど健康的である。

〈年老いた女装街娼や去勢された男性歌手、伝説の人魚や両性具有の神たちが織りなす哀しくも優しい異形の愛の物語。〉
 両性具有神・ヘルマフロディトの物語は異形の愛っぽかったが、あとはごく普通の愛の物語である。この惹句を書いた人はなかなかの知能犯である。
 
ランダムハウス講談社新人賞優秀賞受賞作。〉
 新人でこれだけ書ければ充分だろう。

 それにしても、翻訳を思わせる文体、というのが褒め言葉になるというのはおかしかろう。翻訳というのはどこかこなれない日本語であり、実際、この本にも校正したくなるところがあったが……。もとが翻訳家らしいので、著者にはたぶんこの言葉は褒め言葉とは思えなかったのではあるまいか。翻訳の不自由さを知っているはずだから。そもそも具体的に翻訳文学の普遍的な文体があるわけではないだろう。私は勉強不足できちんと立論できないのだが。
 
 内容的に翻訳文学のよう、というのも意味不明で、日本にはこういう場所を想定しにくいので海外の話になっているだけとおぼしい。これもやはり褒め言葉になるとは思えない。
 私にとってはこんな作品。

 トランスセクシュアルトランスヴェスタイト、肉体的な半陰陽というテーマに取り組んだ作品だが、全体的に理想主義と甘い感傷主義に流れたきらいがある。この甘さは、枠中話としてファンタジーや青春小説などを入れ込んだために一層増している。読後感は良い作品と言えるかもしれないが、テーマが大きいわりには物足りない。
 また、これはどうでもいいとだが、教授の本棚のラインナップが、幻想文学読者から見たら物足りない。脱力するような感じがするので、こういうのはやめてもらいたい。どうせならもっとマニアックな本か未訳の専門書、あるいは架空の本を並べてもほしいものである。