妹尾ゆふ子『翼の帰る処』(上下)

別世界ファンタジー

ヒロインが素晴らしい。英明とはこういうことを言うのである、というような少女。皇帝の娘なのにそうではないような思考展開で、主人公も、彼女のその名君にふさわしい資質に驚き、彼女に仕える。
物語は単に別世界であるだけの宮廷陰謀劇か、と最初は思ったのだが、半ばを過ぎるころからファンタジー味を増していき、ファンタジー好きにも納得できる展開となっていく。
難点は、イラストが、イメージとまったく違うこと。主人公たちはもちろんのこと、長髪の美男の騎士団長とか砂漠の悪鬼もまったくイメージが違います……悲しいけど、これはもう今のファンタジーでは仕方のないこと。『スレイヤーズ』だって、一度としてリナをあんな少女としてイメージしたことはない。私の頭の中では、もっと賢そうな美少女だ。どうでもいい小説はどんなイラストでもいいけど、良いファンタジーにはイラスト付きでない方が嬉しいなあ。

旧帝国から離脱した「帝国」、中でも北の山岳地帯・北嶺が舞台。帝国の成立。版図などは物語の中で徐々に語られていくが、北嶺はおよそ16年前に非武力的に併合されたが、特になんということもなく放置されている地域である。さらに北方に閉鎖的な異民族がいるという設定で、その防壁(捨て駒)としてしか考えられていないだろうという設定。北嶺の設定はやや甘いが、そういう統治もあるだろうという程度のリアリティはある。

過去を幻視する力を持つヤエトは、その力を制御するすべを持たぬために虚弱で、30歳まで生きられるかどうか言われていたが、36歳の今日まで、いろいろな危険に見舞われながらも、帝国の尚書官(行政官)としてなんとか生きてきたが、とにかくゆっくりと休める「隠居」というぜいたくを望んでいた。しかしさまざまな事情から帝国の官吏となった彼にはまだそのぜいたくは許されていなかった。ただし、この北嶺という僻地で閑職を与えられた、と喜んでいたのである。ところがなんと、皇帝が寵愛する末娘がいきなり太守として赴任してきたかと思うと、彼は皇帝の伝達官(訓練して皇帝をはじめとする強い竜種のテレパシーを媒介できるようにした存在)を通した皇帝直々の言により、太守の副官に命じられてしまったのである。いやおうなくごたごたに巻き込まれていくヤエトであった……。

コメディ風に幕を開けるが、シリアスな展開であり、リアリティがあるように、細部までよく練られている。魔法的要素は、神との契約により直接神から授けられるもという設定。皇帝の一族は「竜種」と呼ばれ、その契約が現在、最も色濃く表れている一族である。ヤエトは亡びた古王国出身で、やはり契約をかわした者の末裔なので幻視の力がある。名前が呪術に大きく関わるということで、竜種の一族は名前を明かさず、ヒロインは、姫様とか太守としか呼ばれない。こうした設定は、物語展開と密接に関わり、よく考えられている。

この上下巻は、歴史が失われている北嶺の謎、姫君の葛藤、お家騒動の三つの柱で構成されている。それが、ヤエトが誰からも一目置かれるようになっていく経緯と重ねられながら描かれていく。物語展開にはちょっと無理があるかな、という感じのところはあるが、気にするほどでもない。それにちゃん続きがあるらしい(もうすぐ出るようだ)。そこでどういう展開になるかが興味深い。