三崎亜記『失われた町』

この作品については、町が意志を持つというのがわからない、という、設定に対する違和感を表明する書評を読んだきり、どうでもいい作品と放っておいた。
で、今さらながら読んだ。そこそこおもしろいエンターテインメントSFだった。「町」という言葉で表現されているものは、実際はどうでもいい(論理的に突き詰められてはいない)のだと思った。その設定への違和感というのは、要するにSFやファンタジーを読み慣れていない人の違和感なのだ。
こういうことを言う人は「ブギーポップ」が全然読めないだろう、と思ってしまう。
要するにこれは、ライトノベル風の異世界日本を舞台にしたSFファンタジーなのである。こういう設定、と納得して、中に展開される物語を読めばいい、というのがこの作品なのだ。つまり電撃文庫あたりで書かれるような作品であった。Amazonあたりで、読みにくいとか内容が把握しにくいという意見があったのにびっくりしたが、これはやはり読むべき読者の手に届いていない、不幸な小説なのではないか、という気もした。私にはすぐに作品構造が理解できたし、ちゃんとわかるように書かれていると思う。
もちろん三崎自身はポピュラーになった、幸福な作家だとは思うが。
この作品にとてもよく似ているのは、小川一水のSFである。あり得ないような天才少女や財閥、種々の技能者が協力してプロジェクトを達成する話。『失われた町』は小川一水よりも綺想的でそのぶん、ファンタジーとしてのポイントは高いが、小説が彼よりも下手で、それでどうにも評価が上がらなかったのではなかろうか。早川書房のJシリーズに入ったとすると、きっと見劣りがする。しかし、入ってもおかしくはない。それに、一種の死を扱うものなので、「泣ける」作品であることは保証できる。梶尾真治の「泣ける話」なんかと比べたら、こちらの方がずっと好きだ。
まずいところはすぐに目に付く。ヒロインの美少女・由佳はまったく書けていないし、その恋人も「なんだ?」という感じだ。これだけのものを書くには枚数が足りなかったのか、構成が悪かったのか。オムニバス方式にしても詰め込みすぎである。また、租界の恋人とのエピソードなどは神秘的なクエスト・ファンタジーの骨法をなぞるものだが、こういうところはまるで書けていない。書く意欲だけがつんのめっている感じ。リアルな造形というものが、うまくできていない。それは綺想的な短篇集『バスジャック』を読んだときにも感じたことだった。
しかしこれでは「人間が書けていない」というどうにも古くさい評言に落ち着いてしまう。問題は、人間ドラマを書きながらも、実は設定やアイディア先行だという作家としてのスタンスの不安定さにあるように思われる。
とは言いながら……時間ができたら、次の作品も読んでみようと思う。