井上輝夫 冬 ふみわけて

〈霧と鐘、はかなく「ある」。〉(「ことば」最終行)

高橋源一郎『ニッポンの小説』を読んで、最も驚いたことは、井上輝夫先生が詩集を刊行されていたことだ。萩原朔太郎賞の候補になっていたようで、その選考会の様子が、素敵に脚色されていた。
井上先生は……大学時代に教えていただいて、私が勝手に詩の師匠だと思っている人だ。もちろん詩作の方ではなくて「読む」方のである。学恩海より深しなどという大仰なものではまったくないが、詩を読むときにはいつも、先生が教えてくださった、詩の持つ深度ということを忘れないようにと努力している。言葉の奥の層まで、全身で言葉を読むように……難しいのであるけれど。
私は井上先生のことを忘れたことはないが、先生の方ではきっと覚えてはおられないだろう。
なにしろたくさんの学生たちの面倒を見られた方だし、私は慶応の学生でさえなかったから。ちょうど20歳年が離れていて、20歳の頃は、先生は近寄りがたい年長者に見えた。自分がその年齢になった時、もっと親しくさせていただけばよかったなーと後悔した。
井上先生はずっと慶応に奉職していらしたのだけれど、5年ほど前、仕事で先生が訳された『21世紀の戦争』という本を読んで、今は中部大学におられることを知った。慶応退官後に再就職されたらしい。その時も、訳書を読んだとお便りしようかと考えたけれど、気後れしてしまってそれきりになってしまった。そのすぐ後に詩集を出されているのだな。そして、70歳になられる先生は、今は教授職は引いておられるようだ。
この『冬 ふみわけて』を刊行したミッドナイトプレスのホームページで、井上先生が西脇詩について語る夕べなどが催されたことを知った。東京に戻っておいでなのだろうか。一度はお会いしたいものだ、と思うけれど、でも取り立ててお会いする理由もないのだった。

冬 ふみわけて

冬 ふみわけて