架空言語

映画「アバター」にはナヴィ語という創作言語が登場する。kh sh のような子音を強調する言語で、エリアーデの「若さなき若さ」を映画化した「コッポラの胡蝶の夢」で、学者が創作する言語を想い出させた。なんでそういうものが、あまり通常ではない言語として認識されるのだろうか。言語学がわからないから、ただの感覚で言ってるだけだけど、このような子音強調型の言語って、そんなに珍しいものでもなのではないかという気がする。映画では、あまり変な言語だと、演じられないから、こうなっているんだろうけど、それにしても、工夫が足りないのでは、と思ってしまう。
よく、SFやファンタジーなどでは、人間には発音できない言語というものが登場する。あるいは聞き取れない言語。子音の羅列か、微妙な母音の差で、たいていのそういう言語は表される。聖書の外典に登場する天使の名前には、子音の羅列で発音できないものがあるが、これもまた、天使語(あるいは神の言葉)が人間の言葉には翻訳できないことを表現していると思われる。子音の強調がどうして人間的言語ではないと思われるのかはとても不思議である。
中国語では音の高低、イントネーションにより言葉の意味が変わるが(日本語よりも激しく変わる)、音楽的言語というものも、異界の言語として使われることがあるように思う。小説では具体的には表現できないが、映画ではそういう例もあるだろう。未知との遭遇とか……。そっちの方がより異言的ではないかとという気もするが、どうなんだろう。