大江健三郎「新しい人の方へ」

 意地悪な人になるのはやめよう、とか、怨望は非生産的なのでやめよう、とか若い人たちに向けて書かれている。内容自体は悪くない。
 でもね〜、たぶん石原慎太郎のことだろうと思うけど、自分についての記憶が間違っているのに直しもしない、とねちねちイヤミを言い、嘘をつく強い人間に投票するのはやめようと言ってみたりするのは、怨望ではないのかね? この言葉に、大江は嫉妬という意味を持たせているけど、ルサンチマンに近い言葉じゃなかろうか。で、大江の態度はまさにそれだと思うけど。
 最近、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』という初期の短篇集を読んだんだけど、この前書きもすごい。彼の作品をけなした(というか、彼自身をけなした)詩人たちに対して、ルサンチマン的な態度でいやみを言っている。いやあ、これだから書くということは恐ろしい。こんなブログは消してしまってそれで終わりだが、活字になってしまったものは、いつまでも残る残る。大江のような有名人ともなれば、無惨なほどに残ってしまう。実にみっともない。人間的でよろしいという意見もあるだろうけど、恥ずかしいことにかわりはない。こういう若気の至りの時期を過ぎても、説教くさいことを言わない、というなら、みっともなさも軽減されるけれども。
 自分も若い時には、残ってしまうことを考えずに書いていた。あるいは残ってしまうことはわかってても、そのことの真の意味を理解せずに書いていた。自分の書いた部分だけ燃やして捨ててしまいたいと思ったりもする。五年も経つと結構、ダメだ。紙に書いたものより、ネットに書いたものの方が良かったりもする。いやになってしまうな。