調査と読書

 名鑑のために作家調査を続けている。かつての名鑑に掲載されていた人の、知らなかった作品などをチェックし、読む、ということをしているが……あまりにもひどい小説が多く、ゴミの山という感じである。ラノベもピンキリで一概には言えないが、一般誌(新潮とかすばるとか)に載った怪奇幻想系のクズ作品、ノベルス系のクズ作品は時にはラノベよりもひどい。ラノベとして書かれているのでないだけ、余計にひどいと感じる。
 ある意味で、今の若い子……30歳くらいまでの子は、小説がうまい、というか、達者に書く。パターンをうまく使っているし、エンタメのツボというのを知っている。ただし、おしなべてオリジナリティはものすごく薄いので、なかなか突出しない。あと、バカなのは徹底的にバカ。
 同世代(1960年生まれ)、からちょっと下となると(40歳ぐらいまで)、もっと達者になり、怪奇幻想小説ということなら、この世代全体が持つ、パワーと能力に勝てる世代はないだろう。まったく世代論が書けそうな感じだ。
 六月、七月と、ラノベを除く重要作にはかなり目を通したので、その落差が、今読んでいるものとの間にあって、うんざりしているのだろう。暑いし、もちろんクーラーはつけていないので、午後三時頃になると、起きてからちょうど10時間ぐらいになり、本を読みながら寝てしまうのであった……。

 さて、先日、東京新聞の大波小波に、「文学が力を持っていた時代」というようなことが書かれていた。こういう台詞はよく目にするけど、私の世代ではこんな時代は知らないのではないかと思う。これって団塊世代の感慨なんだろうか。私の場合は、子供時代は「マンガが輝いていた時代」「テレビが輝いていた時代」を生きてきた、という感じであり、高校大学の頃にも、もちろん文学なんてマイナーで、何か文学が力を持つ、とかいう幻想を持つわけにもいかなかった。あくまでも個人的な問題にとどまるというか。
 文学が大きな力を持っていた時代などと考えると、まずジャーナリズム勃興記の18世紀とか、文学流行の19世紀。せいぜい前衛の20世紀初頭まで、と感じてしまう。文学云々とかいう感慨ってどこから出てくるものなのか、マジで知りたい。何を基準に言っているのか、是非とも教えてもらいたい。