柴田南雄とその時代

柴田南雄とその時代 第一期(DVD付)

柴田南雄とその時代 第一期(DVD付)

礒崎さんにいただいた。
私は、この中に演奏がある「宇宙について」の初演に参加している。DVDでは再演で、演出がやはり少し違うようだ。指揮は同じ田中信昭先生。
学生か、完全なプロでなければ実現が難しいような曲。柴田先生はそんな合唱のシアターピースをいくつも作っておられる。
このDVDに「その時代」とあるように、時代の産物でもあるのではないか。
「宇宙について」以後の、「人間と死」「歌垣」「自然について」といった、「我々はどこから来てどこへ行くのか」的なテーマの曲を聴いていると、「今」の産物ではない、という感を強くする。
柴田先生の曲には、本当に力を感じる。それは、合唱が、こぎれいに歌をまとめればそれでよいというものではないということを、改めて教えてくれる。例えば「宇宙について」の「しばたやま」を聴くと、感動がわき上がる。「しばたやま」は山田のおらっしょをもとに作られたユニゾンだ。むしろきれいに歌うべきものでない。
「宇宙について」には、柴田純子夫人のエッセーが付いていて、感慨深かった。
そして、歌は「詩」を破壊するが、同時に、あらゆる文学を「詩」に昇華できることも教えてくれる。ジョルダノ・ブルーノを歌詞にしてしまう「自然について」はその典型である。
ああ、こういう作品を歌いたい。

もうひとつの街その他

もうひとつの街

もうひとつの街

宵星の魔女エミリー (新大陸魔法冒険記)

宵星の魔女エミリー (新大陸魔法冒険記)

ディアスと月の誓約

ディアスと月の誓約

怒りのフローラ 上 (一万一千の部屋を持つ屋敷と魔法の執事)

怒りのフローラ 上 (一万一千の部屋を持つ屋敷と魔法の執事)

自堕落な時間を過ごし、しょうもない本を読み、太り続ける毎日である。

闇の中にもう一つの世界がある。「もうひとつの街」は題材的にはとても好きなものなので期待して読んだが、がっかり。意味不明言語世界(自動書記的)が出てくるのはかまわないが、現実の描写も意味不明瞭でははなはだ困る。翻訳なのでもう多くは望めないのは分かってはいるが、この手の小説で優れたものなら、翻訳でも伝わるものはあるはずだ。よかったのは、わりと最初の方で、円柱をのぞき込むところ。ただ、もっと衝撃的な感じになった部分ではないかと惜しまれる。あるいは作者はまったく無意識か。それからじゅうたんが海に変わるところや異世界から酒場のトイレにいきなり戻るところ。『リリス』的。訳者は「哲学的」と言っているが、そういう講釈の部分はまったく蛇足的な詰まらぬ部分と感じた。まあ、たいがい、「哲学的」などと簡単に言われてしまうものはそうなのだが。

「宵星の魔女エミリー」は軽エンタメ。設定や内容はそこそこ面白いのだが、主人公二人の描写がいまいち。特に男の方が魅力に欠ける。設定されている人物像は申し分ないのだが、セリフや行動や,ヒロインの目を通してみての彼が充分に描かれていない。描くべきはそこなのに。

「月の誓約」の乾石は東京創元社よりデビュー。今度はハヤカワからも単行本を出してもらえたようだ。これはもう完全にジュヴナイルになっており、やはりこの方が資質に合っているように思われる。ラストの始末を除けば悪くない。
 それにしても、みんなジュヴナイルで、底力を発揮するのがなんとも。本当に大人の小説を書けるファンタジストはいないのだろうか。

「怒りのフローラ」はシリーズの完結編。フローラは成長して外で冒険を繰り広げ、屋敷も執事もどこかへ行ってしまった。もともと無理の多い設定だった。

黎明の書

またひと月近くが経ってしまった。そして今回取り上げるのもまた篠田真由美の新刊。

人の血を必要とし、太陽の光に耐え得ず、死ねば塵となって消え去る《貴種》が、貴族層として存在する、中世ヨーロッパ風異世界が舞台のファンタジー。《貴種》は吸血鬼だが、大量の血が必要なわけではなく、少数の人間の侍者から定期的に血を吸うだけで(時には血の丸薬だけで)、あとは菜食をすれば生きていける。恐ろしいまでの美貌、優雅さと共に強い生命力を持ち、長く生きる。そして《貴種》は実は堕天使の末裔(ネフィリム)なのではないか、とも疑われている。
 そのような《貴種》で年若い公子イオアンと、彼に仕え、時に血を差し出す侍者となった少年ラウルの道行きを描いている。
 宗教が大きなモチーフのひとつとなっているが、そのあたりはさすがに手馴れたものというわけか、間然とするところがない。つまり、みごとに統制の取れた世界観となっている。

 吸血鬼は、萩尾望都のおかげで、本邦では決定的な変容を遂げた。キリスト教社会ではないこととも相俟って、吸血鬼はモンスターというよりは妖精に近い。妖精でも恐ろしくはあるが、問答無用で滅ぼしてしまいたい対象ではない。
 そして、そのような吸血鬼(の類)を信奉し、仕えようとする人間を描くのも、珍しいことではない。吸血鬼の無力なところにフィーチャーすれば、そうした物語を作れるのだ。柾悟郎『さまよえる天使』などはその一例である。
 『黎明の書』は、しかし、吸血鬼に仕える侍者の物語ではあるにしても、そのような設定に眼目があるわけではない。吸血鬼ものであることはいわば副次的なことであって、二人の少年が手を携えて冒険してゆくというところが根幹となっている。だから、吸血鬼でなくても物語は成立するだろう。堕天使の末裔で、ある時間帯だけ完全に無力化する美の権化などを考えてもよいのだ。もちろん作品自体は、吸血鬼という設定から作り出されているので、現状のようになっていて変えがたいわけだが、要素を抽出していけばそうなるだろうということだ。
 で、この少年たちが、金はあるけど、世間知らずで非常に無力なので、読んでいるとはらはらする。だから、第一巻では家庭教師オラフが後見人として活躍し、第二巻以後、騎士ハイドリヒが彼らをサポートする。オラフもハイドリヒもいない空白の期間が、二巻の前半にはあるのだが、その間の頼りなさと言ったらない。まあ、そういうのが良いと言う向きも必ずあるには違いないけれども。
 三巻まで毎月刊行され、しばらく次は出ないようだが、話はまったく終わっていない。二巻を読み終えたところでは、三巻では王宮まで行って、父に与えられた使命はとりあえず果たすのだろうと思ったのだが、とんでもなかった。登場人物は膨れ上がり、どう転ぶのかわからない。
 気長に次を待つことにしたい。妹尾ゆふこなんかも忘れたころにしか続きが出ないので、ファンタジー・ファンに必要なのは忍耐だと思う今日この頃である。

ホテル・メランコリア

ホテル・メランコリア

ホテル・メランコリア

篠田さんの新刊。
以下の書評がすべてを伝えているので、私の駄文は割愛。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130224/bks13022407470005-n1.htm


同時期に出た吸血鬼もの『黎明の書』は三冊出たところで書くつもり。

地下の整理

文庫用の本棚を購入し、地下書庫を整理しようとしている。


本は現在、文庫・新書・四六判・A5判以上に分けて、種類でまず分け、小説以外は内容の親近性に従い小説等は国・地域別・著者の50音順に並べている。つまり、図書館と同じ。

今回は、整理を兼ねて、本を入れ替えようと考えている。

棚が固定なので、大きさ別なのは変わらないけれど、ジャンルごとの分け方を変えようかなと。
国別はどうしようかなとか。FT文庫は一つにまとめちゃおうかなとか。

わかりやすくて良い分類があればご教示ください。

須永朝彦さん宅訪問

きのう、千曲市に引っ越された須永さんのお宅にお邪魔した。
肺炎は完治したよし。ただ、薬の副作用で胃腸の調子が若干悪いとか。けれどもとてもお元気そうで、安心した。
新居は、アパートながら、かなりがっしりした造りで、天井がとても高く、一面が本棚で埋まっても、ちっとも圧迫感がない。ますまず快適そうな印象。

千曲市そのものは、いかにも地方都市のはずれという感じで、ここらあたりでいうと、韮崎のよう〔といってもわからんだろうな〕。東京近郊にはこういう地方都市のさらに外側に位置する、それなりに整備された市というものがないので…。温泉地で半ば観光地だけれども、私の居住するあたりよりは田舎ではない。そしてたぶん、当地よりも少し暖かいのではないだろうか。

お昼におそばをご馳走になり、さらにスーパーマーケットへ。ここの食材が信じられなく安いということなので、ちょっと見学。本当にびっくりするほど安い。
鶏の胸肉が100グラム29円とか、信じがたい値段。〔このあたりだと安くても60円〕もちろんもも肉もそれに比例して安い、キャベツが1ケ79円とか、長いも小さいのが3本で100円とか。これで農家の人はやっていけるのか。こんな価格破壊をしてはいけないのではないか、と思うような価格だった。
残念ながらガソリンの値段はは変わらなかったが(笑)。


当地から千曲までは、141と18を使って約100キロ。県内では、国道を使うような往来は、渋滞する朝夕を除けば、キロ分プラスアルファ。渋滞する時間でもその二倍もかかるということはない。なので、2時間見れば余裕だと思ったのに、2時間40分もかかってしまった。あり得ない。18号は上信越道と併走する重要な幹線道路のはずだが、二車線になるところがほとんどなく、しかも、なんということか、時速40キロで走っていたりする。長野県は、よほど警察が交通取締りを厳しくしているのであろうか。
車の運転は好きだが、時間がかかって、帰宅が遅くなるといやなので、帰りは高速で帰った。更埴ジャンクションまで15分ぐらい、そこからうちまで110キロぐらい。1時間半で着いた。パワレスの軽に乗っているので、みんなが私を追い越してゆく。対向車線では、覆面パトにつかまっている車がいたが、こんな速度しか出せなくては、パトを警戒する必要もまったくない。のんびりした高速行であった。