黎明の書

またひと月近くが経ってしまった。そして今回取り上げるのもまた篠田真由美の新刊。

人の血を必要とし、太陽の光に耐え得ず、死ねば塵となって消え去る《貴種》が、貴族層として存在する、中世ヨーロッパ風異世界が舞台のファンタジー。《貴種》は吸血鬼だが、大量の血が必要なわけではなく、少数の人間の侍者から定期的に血を吸うだけで(時には血の丸薬だけで)、あとは菜食をすれば生きていける。恐ろしいまでの美貌、優雅さと共に強い生命力を持ち、長く生きる。そして《貴種》は実は堕天使の末裔(ネフィリム)なのではないか、とも疑われている。
 そのような《貴種》で年若い公子イオアンと、彼に仕え、時に血を差し出す侍者となった少年ラウルの道行きを描いている。
 宗教が大きなモチーフのひとつとなっているが、そのあたりはさすがに手馴れたものというわけか、間然とするところがない。つまり、みごとに統制の取れた世界観となっている。

 吸血鬼は、萩尾望都のおかげで、本邦では決定的な変容を遂げた。キリスト教社会ではないこととも相俟って、吸血鬼はモンスターというよりは妖精に近い。妖精でも恐ろしくはあるが、問答無用で滅ぼしてしまいたい対象ではない。
 そして、そのような吸血鬼(の類)を信奉し、仕えようとする人間を描くのも、珍しいことではない。吸血鬼の無力なところにフィーチャーすれば、そうした物語を作れるのだ。柾悟郎『さまよえる天使』などはその一例である。
 『黎明の書』は、しかし、吸血鬼に仕える侍者の物語ではあるにしても、そのような設定に眼目があるわけではない。吸血鬼ものであることはいわば副次的なことであって、二人の少年が手を携えて冒険してゆくというところが根幹となっている。だから、吸血鬼でなくても物語は成立するだろう。堕天使の末裔で、ある時間帯だけ完全に無力化する美の権化などを考えてもよいのだ。もちろん作品自体は、吸血鬼という設定から作り出されているので、現状のようになっていて変えがたいわけだが、要素を抽出していけばそうなるだろうということだ。
 で、この少年たちが、金はあるけど、世間知らずで非常に無力なので、読んでいるとはらはらする。だから、第一巻では家庭教師オラフが後見人として活躍し、第二巻以後、騎士ハイドリヒが彼らをサポートする。オラフもハイドリヒもいない空白の期間が、二巻の前半にはあるのだが、その間の頼りなさと言ったらない。まあ、そういうのが良いと言う向きも必ずあるには違いないけれども。
 三巻まで毎月刊行され、しばらく次は出ないようだが、話はまったく終わっていない。二巻を読み終えたところでは、三巻では王宮まで行って、父に与えられた使命はとりあえず果たすのだろうと思ったのだが、とんでもなかった。登場人物は膨れ上がり、どう転ぶのかわからない。
 気長に次を待つことにしたい。妹尾ゆふこなんかも忘れたころにしか続きが出ないので、ファンタジー・ファンに必要なのは忍耐だと思う今日この頃である。