春日武彦・無意味なものと不気味なもの

先日『緘黙』という新潮文庫の書き下ろし小説を読んだ。一応ミステリなのかな。犯人(?)が最後にネタを割るというタイプのもの。ミステリとしてはともかく、精神科医が、その専門知識を活かして書いた小説として、また、精神科医たちのキャラクター描写などをおもしろく読んだ。
中に『ドグラ・マグラ』への言及があり、ちょっと興味を持ったので、Amazonで調べてみたら、著書多数の有名人らしい。その中に文芸評論として本書があり、タイトルがいかにもフロイトの向こうを張るようでおもしろかったし、扱う作家に幻想作家が多かったので手に入れた。

無意味なものと不気味なもの

無意味なものと不気味なもの

フロイト「無気味なもの」等のように小説家の精神分析をするのか、同じく「グラディーヴァ論」のように作品(作中人物)の精神分析をするのか、と思ったら、まったく違った。
読み進めていくと、シュルツの項にこうある。

精神科医が小賢しい知識をひけらかして分析してみせるにはうってつけの題材である。ただしそんな不毛なことにわたしは関心がない。

文芸評論家が精神分析もどきの批評を展開したがる現代において、本職だから言える言葉ではあるが、実に潔いというかクレバーというか。著者は作品の構造は分析しているが、単に知的な読解にとどまるのではなく。小説の総体から導かれる玄妙な味わいというものを分析しようとしており、本当に、これこそが文芸評論家がすべき仕事なのである。
ただ、著書の私的な体験がかなり長々と差し挟まれるのが、本職の文芸評論家らしくないところである。このことについては、後書きに弁明がある。本書の主旨はもともと、自身がこれまでの人生で何となく引っかかってきた作品を分析してみるというものであった。そして読書体験というものは、きわめてプライヴェートなものであって、こうした人生の体験と結びついている。

文学がどのように人の心に居場所を見出すものなのかの実例を書き留めておきたいといった気持ちが強かったからなのである。

なるほど、きわめて説得力のある主張である。シュルツにおける昆虫嫌いの弁や、高井有一における救われたい気持ちの説明などは、その主張に沿っているように思われる。しかし、ラヴクラフトの項目におけ、自分の見る夢の説明の長いことなど、文章の中で夢ということに置かれている重さからすると、バランスを欠いているという印象がある。それでも、ラヴクラフトの項目自体は非常に共感できるものではある。
古井由吉の分析もとても良い。まだこれでも古井の魅力を伝えきれていないとは思うが、そんなことはたいていの人にできないだろう。
というわけで、おもしろく読んだ。著者のほかの精神分析の本は読まないだろうけど、小説は読んでも良いか、と思った。

春日武彦という人の本が面白かったよ、と篠田真由美氏に話したら、その人は『ロマンティックな狂気は存在するか』で『幻想文学』の書評を取り上げて批判してた人だよ、と教えてくれた。あーそういえばそんなことあったなー。うちみたいなマイナーな雑誌を素材にするなんて、変わった人だ、と思った。あれはごく初期の著作だったのだ。あのあと、有名になったのだな。それはともかく、たぶん『幻想文学』を講読してくれたんだろうから、自動的に私の中では同志の一人になる。とはいえ、上記の文章はひいき目でなく書いた。ただ、やっぱりそういう系の人出はあったんだな、という確認のためにこのエピソードを披露した次第。