道化師の蝶を買ったこと

この、日本で一番有名な文学賞を取ると、文芸界での扱いが違ってくるのがよくわかる。文芸雑誌のコーナーを見ていて、そう思う。
7日の東京新聞夕刊には円城塔のエッセーが掲載された(その前には田中慎也のものも掲載されている)。たぶん各紙で同じ事をしているだろうから……。
円城のエッセーは落語の前振りのようなおもむきで(実際にそれを意識したのかも)、へんてこりんかもしれませんが気が向いたらお付き合い願います、と言っている。その前日の田中慎也のは、不機嫌な調子ではあったが、言っていることは同じで、自分は社会性のかけらもないし、これからもずっとそうだ、だが作品は書く(から読んでくれ)。
田中慎也は筆力のある人で、その作品もなかなかおもしろい。いかにも日本的な内容で、一般にもわかりやすい。
一方の円城は、受賞直後の「大波小波」で一般人には難解で歯が立たない、みたいなことを言われてしまうほどだ。難解なのじゃなくて、普通じゃないだけなのだが。選考委員にもわからないと言われてしまうという状況で、何か気の毒な感じ。前にも書いたけど、良い評論がなされると、見方も変わってくると思う。これでは、とにかく前衛だから受賞した、みたいな感じだ。……まあ文芸界のレベルでは、そうなのかもしれないけど。
そういうこともあって、紀伊國屋に行ったら、受賞作が並べて平積みになっていた。一冊だけ円城の本の方が山が高かったので、それを取って、購入した。最近、めったにリアル書店で本を買わないから、とても贅沢をした気分である。