ほんとうのフローラ

ほんとうのフローラ 上 (一万一千の部屋を持つ屋敷と魔法の執事)

ほんとうのフローラ 上 (一万一千の部屋を持つ屋敷と魔法の執事)

ほんとうのフローラ 下 (一万一千の部屋を持つ屋敷と魔法の執事)

ほんとうのフローラ 下 (一万一千の部屋を持つ屋敷と魔法の執事)

《一万一千の部屋を持つ屋敷と魔法の執事》の第二作。
作者はスケール感がでたらめだ。おそらく本気でこの別世界のことを創造していない。その点は『ハリ・ポタ』に非常によく似ている。アイディアをぽんぽんと投げ入れて、それがもたらす世界設定上の、さらにはイメージ上の結果を気にしていないのである。
 物語そのものはスピード感がある。主人公は14歳だが、成人式を迎えているので、たぶんこの世界的には18歳くらい。冒険マダム・ボヴァリーである彼女は、魔法を習得したいと考えていて、そのつてを求めてコンサートに出かけたことを皮切りに、次から次へと厄介ごとに巻き込まれる。最後には「自分はほんとうは……だった」ということを知ることになり、それでタイトルが「ほんとうのフローラ」。だけど、原題はFlora's Dare フローラの挑戦であり、しかも勇気ある、あるいは向こう見ずな、大胆な挑戦というニュアンスなのだから、本来の邦題は「フローラ、危険に飛び込む」といったところだろう。それでも、フローラのチャレンジは、そんな軽いものではなく、かなりあっと驚くようなことだ。そして、著者は、その実行段階で意外性を持たせるために、実行に移す前の葛藤を省いてしまった。そのため、本来、ものすごく重いはずである挑戦が、軽ーいものになってしまった。
もう一つ、第一巻から持ち越されている人間関係が、ここでさまざまな真相をあらわにする。とにかく意外性に留意したのだろう。ミステリー的に見れば、もちろん整合性はあり、説得力もないではない。しかし、作者はそのために、本書の中で最も魔法的にすばらしいところに、あとになって真相を明かして、傷を付けるということをする。重点を置くところが違っていやしませんか。
ファンタジーで重要なことは何か。『ハリ・ポタ』の席巻によって見失われたものは何か。何度も繰り返すようだが、ファンタジー関係者はきちんと考えて、答えを出すべき時期だ。