田舎暮らし

東京新聞「大波小波」から

稲葉真弓の『半島へ』が取り上げられていた。これでこの欄で取り上げられるのは二度目か。私小説的な〈田舎暮らし物〉のようだが、何か魅力があるのだろうか。例によって当該作は読んでいない。気になったのは批評者の言葉だ。温かい村人との交流があるにしても、女の一人暮らしは大変だ、というような記述である(引用ではないので、言葉そのものは不正確)。大変さの中身は草取りとかの庭仕事であるらしい。
稲葉は団塊の世代で、六〇歳を越えている。従って、庭仕事が大変だとしても、それは女だからではなく、年を取っているから。あるいはそれまでろくに鍛錬していなかったからだ。「女の一人暮らし」が取り立てて大変なわけではない。基本的に一人で暮らすということは家事労働を分担できないので大変なのだ。しかし、家事なんかどーでも良いと思ったら、一人で暮らすのはとっても楽ちんだ。雑草だらけの庭で何が悪い。「雑草という草はない」のだし、どんな草にも妙味はある。
温かい村人との交流という紋切り型もいただけない。坂東眞砂子の最近の田舎ホラー『くちぬい』の如く、紋切り型の因習社会も勘弁だが、〈田舎〉独自の温かな交流なんぞがあるというのも気味が悪い。ここまで日本全体で近代化が進んでいるのだから、そして日本では基本的にどこへ行っても田舎だから、人と人の付き合い方が都市と農村で違うわけがない。親切な人、世話焼きの人、良い人はどこにでもいくらかいるし、気の合う人も稀にいるだろう。しかし漠然とした温かい交流などというものは、存在しない。基本的に土着の人は外来者に対して排斥的であって(例えば、都会の分譲マンションなどでも最初から住んでいる人と後から来た人との間によそよそしさが漂う。基本的には後者がとけこもうという努力をしなければならない)、前近代のように極端なことにはならないが(たぶん利益関係が喪失しているせいで)、新来者は放っておかれるのである。
田舎で暮らすことの利点は、環境が異なるということである。窓を開けて見えるのが建築中のマンションということは、まずない。とりあえず自然が豊富に(場所にもよるが)ある。そして人がまばらだ。そういうふうに環境が変わると気分が変わる。田舎暮らしの利点とは、この変わる気分にあるだろう。