現実に立脚すること

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森岡邦泰というフランス思想研究家の著作を読んだ。たいへんに面白かった。
フランス啓蒙思想の数人を取り上げて、ニュートンの——というよりは数学的合理性によって世界を理解するという方法論の影響をいかに受けているか、それゆえにどのような陥穽にいたるか、ということを論じている。
私はサド—ラ・メトリ—という流れで本書に行き当たったが、本書ではサドのことは出てこない。しかしサドのことはどうでもよくなってしまった。
私が購入したのは2003年の増補版。前書きには、数学的モデルを振りかざす現代経済学批判がなされている。啓蒙思想と同じ陥穽にはまっている、と。経済学の場合、何らかのモデルを構築しても、現実に実験して検証することができない。だから、ある点でデータと整合性のある数学的な理論が立てば、正しいと主張できる。それにのっとって経済を動かし、もしも現実がこけてしまったら現実を無視する、ということになる。
最も悪いのは、現実を直視しないことである。18世紀重農主義のケネーを取り上げ、その「経済表」を信奉したデュポン・ド・ヌムールが交わしたイーデン条約によって受けた経済危機を決して認めなかったという例を挙げている。このような、現実無視の態度を〈認識論的錯誤〉と森岡は呼んでいる。
この著作からは、森岡の幅広い興味と視野がうかがわれ、同世代にこうした視野で研究をしている人がいるのだと頼もしく感じられた。本書以外には著作もないようだし、ネットで検索しても引っかからないのでブログなどもやっていないのだろう。でも、ほかの書き物も読んでみたいと思った。
ところで〈認識論的錯誤〉は、結論ありきの文芸評論を書こうとすると、簡単に陥るミスであるといえる。私自身、やはりある思想のもとに世界を眺めてしまい、現実を無視しがちな傾向があるので、現実にフィードバックしなければダメだと長男にもよく注意されている。せいぜい気をつけたい。