大波小波・純文学の仕切り線(不純文士)

4月4日のコラムである。大久保房男の『三田文学』での連載に触れ、大久保の文学理念について寸評している。どうとも読める文章だが、私はかなり批判的と読んだ。
大久保房男……『群像』編集長として、文芸の講談社の輪廓を作るに功績のあった編集者。第三の新人の編集者。……一言で言えばエライ人。きっと高給取りだったと思う。そして貧乏文士の潔癖を称揚したりする。まあ、そんなのはよくあることだが、ともあれ、もう90歳になろうかという御仁で、その文学的理念も、いわば前世紀の遺物である。いや、〈純文学〉などというカテゴリーで文化的だと威張っていられたらしい、私の知らない時代の遺物と言うべきか。
 丸谷才一のこの人に触れたエッセーがあって、第三の新人と大正作家を比べて、〈大正文士は学問がありますよ〉と言ったそうな。学問……要するに教養ということで、具体的には古典の知識とそれについての見識ということだろう。
 大正文士は明治の人にはかなわない、と言っていて、露伴先生に比べると、僕らの教養は薄っぺらいと言う(笑)。どこまで学問があればいいのか? 露伴ほどには要らないのか?(なにしろ露伴は人気がない)。
 茶化してはみたものの、教養の深さは、文学の深さと無縁ではない。〈学問〉というよりは、より広い意味での、知性を裏打ちする〈教養〉。そう考えると、大正文士には〈教養〉があったかどうか、とても一概に言えそうにない。現代の作家の、情報を入れ込んだ小説が教養とは何の関係もないように、思想的な筋が通っていれば教養があるとも言えないし、なかなかに難しいことである。
 どうもコラムから外れてしまったが、学問でも教養でも、何かそういうものに奥底で支えられている良い文学、また、俗語などには鼻も引っかけないような〈格調高い〉日本語の文章で書かれた文学であっても、それを純文学とする、というようなくくりは、今更ないだろう、というのが言いたかったこと。ひどい回り道だ。
 もはやどんな定義も無意味なほどに文芸は拡散してしまった。文芸誌を主たる発表の場とする、というような外的なくくりぐらいしか存在しないのが現状だ。海外の文学を考えればなおさら、何か普遍的にそういうくくりがあるとは、到底言えない。
 しかし、いつまでも純文学にこだわる心がある。コラムの筆者もそうだろうし、私自身も、このように書くことでこだわり続けている。このこと自体が、文芸における大きな問題を提起しているように、私には思われる。