オメラスから歩み去る人々

原発問題についていろいろと考えているとき――というか、世界中で行われている人間のすべての問題ある行為について考えるときはいつでも――頭に浮かぶのは、ル=グインのこの、何ともいやらしい短編だ。私は、歩み去ることは出来ない、と考え、自分がそこへ降りていって同じ立場になることぐらいしか出来ないはずだ、と考える。そして自分にはそれはできないと思う。この問題は、生きている限り、心の重しとなるものであって、取り除かれることはない。『これからの正義の話をしよう』では、それは功利主義の問題として取り上げられるだけだ。実のところ、「オメラス」は最大多数の幸福の問題ではなく、関係性の問題なのだが、そこのところが無視されている。もちろん、著書の後ろの方ではようやく関係性の問題に言及する(「オメラス」とは関係なく)。反リバタリアニズムならそうせざるを得まい。しかし、そこには人間的な洞察が欠けている。表面的な……というか、慣習的な(国家とか血縁とか)人間関係が語られるだけだ。まあだからこそ、実践的な「政治哲学」なのかも知れないけど。
 というわけで……いや、もう書くのがめんどくなっただけだけど……読む価値のない本。とりあえず、カントはおもしろいから読んだらいいと思う。西洋哲学にしてはイケてる。で、本書の取り上げ方では、カントのおもしろさは分からない。