情報の誤り

 これは、あまりにもしばしば自分が犯す過ちなので(あんなのもこんなのも……ごめんなさいごめんなさい)、他人を非難できないことは重々承知しているが、それでもやっぱり言いたくなる。
 相変わらず、ろくでもないことしかしておらず、今は『映画芸術』のレビューをデータ化している。8月の上旬に半分くらいやって、残りを今やっている。御用記事を書いていないだろうということでこの雑誌を選んだらしいが、扱うものには結局偏りがあるわけで、実に奇妙な感じがする。ここでも映画への愛が足りないんじゃないか、という疑問を感じたのだ。まあしかし、レビューしか読んでいないわけだし(レビューには力を入れていないとか)、映画のことはそもそもよくわからないので、問題にしたいのはそんな話ではない。
 2000年の春号あたり――とにかくかなり古い記事。脚本家・我妻正義の『発狂する唇』評。このレビューは、見た人にしか映画の内容が分からない書き飛ばしで、主には今のホラー映画のもてはやしにはうんざり、高橋洋はなんかむかつく、この映画の監督はダメということばかり書いていると感じられるものなのだが、その中で原作の『リング』について次のように述べている。

間違いなく、その起点に一九九二、三年に描かれたマンガ、望月峯太郎の「座敷女」がある筈だ。多分、それは、きっとそうだと思う。

間違いです。『リング』の刊行が1991年。執筆はその前年だろう。「座敷女」は1993年。『リング』の方が早い。
 こういう誤解は、情報がネットで簡単に入手できるようになった今は……当時だって本当はそうだったのだが……基礎的作業を怠らなければ防げることだ。影響関係を断言するなら、それくらいのことはやってもらいたかった。
 このホラー批判、映画の話と小説の話が時折ぐたぐだになってしまうので、いまいち真意がわからないが、ともかくもアメリカンホラーの追随者として日本のホラーを見ている。んー、いろいろ問題あると思われる発言が気になる。まあ所詮寸評でしかないんだけど。移植、あるいは影響という問題を扱うのは、厄介だ……というようなことはいつも書いているけど、本当に面倒なのよ。知らないこと(この世には情報)が多すぎる。