43年ぶりの再会

 これを執筆して、10年近くが過ぎた。その間に、この映画を、添野知生さんが発見・入手なさった。なんとフィルムは、破棄されることなく、存在し続けていたのである。そして、この映画を観ている人の数は多く(100万人との解説があった。視聴率からの計算だろう)、いろいろな人が記憶に留めているものだったということがわかった。例えばホラー映画「女優霊」では、〈恐怖映画の記憶〉というテーマが扱われているが、「シエラ・デ・コブレの幽霊」がその影を落としているのだ。しかも脚本の高橋洋氏は本編ではなく、宣伝のスポット映像だけで「シエラ・デ・コブレ」を記憶に残していたというから、そのインパクトの大きさが窺える。以後、何度か紹介・私的な上映もされてきたが、今回、私が見ることが出来たのは、カナザワ映画祭という大き的なイベントでの公開上映であり、しかも字幕付き(字幕は、添野さんと柳下毅一郎さんとによる)。野外での上映だったが、数百人の観客が会場にあふれんばかりだった。ただし、私のように、どうしても確かめたいという人は、そんなに数は多くなかったようだ。
 というわけで、観た!のである。物語も何も完璧に忘れていたが、親子、復讐、というのだけは覚えていた。そして車のフロントガラスに幽霊がいっぱいに広がり、車が崖から転落して終わり……なんだと思っていたが、実際には、車は転落せず、屋敷の中で、自分の持つナイフを自分に突き刺して(亡霊がそのように手を動かさせる)、復讐劇は終わる。
 もう一つ、女の泣き声もイメージが違って、今回、普通の泣き声だったが、それとはもっと違う、特徴的な泣き方だった。上記のエッセーで、小川さんが再現したのが記憶とそっくりで、そしてそれとは、映画は違ったのだ。
 中島晶也さんのブログに、神戸での上映会の鑑賞記が載っているが、そこには別ヴァージョンの存在も示唆されている。
ttp://borderland.txt-nifty.com/weblog_on_the_borderland/2010/02/post-6c3f.html
添野さん自身も、記憶が二つあるということを言っておられたのだが、そのあたりは謎だ。でも、ホラー映画の結末を記憶していない、というのは意外にあることではないか、という気がする。恐くて観てられないとか(「女優霊」にそんな笑い話が出てくるけれど)、何かインパクトを受けた場所が違うとか。また、作品についての記憶というのは改変されたり、曖昧になったりしてしまうものだと私は思う。当時大人で、観て記憶している人はいるのだろうか。中学生ぐらいなら、もっとちゃんと覚えているのだろうに、と思う。大沢さんも既に亡くなってしまわれた。
 ところで、この、子供の頃に死ぬほど恐かった映画が、今は平気で観られてしまう。会場の私の近くには小学生の子供もいたが、まったく怖がらずに観ていたぐらいで、たぶん大方の人がそうだったろう。映写機のトラブルでさんざん待たされて、緊張感を使い果たし、怖がるだけの余裕も無かったかもしれない。しかし、40年以上前に、子供だった私が観て恐かったのは当然、と思える映画だった。不気味な泣き声、効果音、風、黒い立像、そして白く耀く幽霊。絵の中から幽霊が出現するところなども、相当に恐い。まあ、怖さというのは……想像力抜きにはありえないので、何とも言えないところではあるが。

 ついでに結末を忘れたホラー映画のことをちょっと書いておく。これはテレビで観た、怪奇小説原作ものだと思うが、絵の中の男が少しずつ家に近づいてくる、という話。結末が記憶から抜け落ちている。
 もう一つ、ドリアン・グレイ風の話が「アウターリミッツ」系のシリーズ作品にあって、絵の男を殺そうとするのだが、画面の上をナイフが滑ってしまい、自分を刺してしまうのである。これなどはその結末(だよね、たぶん)だけを覚えていて、経過を覚えていない。そんな例は、実は枚挙にいとまがないとも思えるのである。