排棄という運命

 国書総目録という本がある。近世以前の日本で出版された刊本、あるいは写本などのタイトルが挙げてあり、その原典をどこで閲覧できるかが記されている。国会図書館を始めとする収蔵館へ行けば、それが見られるのだが、片々たる黄表紙などがたくさん残っているのを見ると、何か複雑な心持ちになる。
 こんなものを大層に残しておかなくてもよいではないかという、切なく呆れるような感じが大方の気持。よくぞ残っているものだ、と感心するのが残りの気持。蒐集家という奇人変人の類がいて、いわばそのおかげで書物が残ることに、ある種の感慨は覚えるのだけれど、私の共感を呼び覚ますというところまではいかない。ある面では馬鹿らしい、という気がしなくもないのだ。
 映画というのは歴史が浅いが、やはり近代美術館付属のフィルムセンターというものがあって、大量のフィルムを残し、管理している。フィルムは書物などよりずっとデリケートなので、管理も大変だし、書物でもマイクロ化されるように、フィルムもリプリントばかりではなく、デジタル保存される趨勢にあるだろう。
 この近代フィルムセンターにだってないようなものを(もちろんあるようなものも含めて)蒐集している奇人変人というのが世の中にはいて、今に貴重なフィルムが残ったりしているわけだが(杉本五郎『フィルムを集めて』を読むべし!)、当然、あらゆるフィルムが残されるわけではない。排棄されて永遠に失われたフィルムも多数あることだろう。書籍にしても、カストリ雑誌の運命を考えるまでもなく、失われたものは数多い。排棄される運命にあるものがこの世には存在するのだ。
 これは『幻想文学』にもかつて書いたことなのだけれど、子供の頃に観た映画でとんでもなく怖いものがあった。私はタイトルも覚えていなかったが、幻想文学会の集まりで、「泣く幽霊なのです」と言ったら、何とタイトルがたちどころに分かってしまった。映画通で、菊地秀行氏とも知り合いだった大沢さんというとてつもなくかっこいい先輩がいて、それは「シエラ・デ・コブレの幽霊」である、と教えてくれたのでだ。日曜洋画劇場の夏の怪奇映画特集で、ボリス・カーロフの「ミイラ男の呪い」との二本立てだったが、ミイラ男は一向に恐くなく、この幽霊話が恐かったのだと、そんなことまでたちどころに情報が出て来て、まったく驚いた。1967年のことだから、私は7歳だけれども、大沢さんは 10歳を越えていたので、その違いなんだろうか。東の高校の同級生で、早稲田の経済学部にいた小川さんという人がその場に居合わせ、御丁寧にもその泣き真似をやってみせた。そっくりだ、と言って三人で盛り上がったが、それほどに印象強烈な映画だったのだろう。
 これはリバイバルされたという話も聞かないし、日本にはたぶんフィルムはないのだろう。テレビで使われたものなどは順に排棄してしまうらしいから。米国ではどこかの倉庫に眠っているのか、あるいはフィルムセンターのようなところで観られるのかもしれない。もう一度観てみたい、観たら怖くないかもしれないのだが、それでも観てみたい映画である。たぶんこんなに執着している映画はほかにないのではないか。観られないから観たい、ごく当り前に人間的である。
 映画史を繙けば、大概は、エミール・レイノーのプラキシノスコープのことが冒頭近くに挙げられているだろう。635コマもの絵がカラーで一コマ一コマ描かれていたという「脱衣小屋の周りで」は有名だ(多分)。そしてレイノーの作品を映写したテアトル・オプティックは、50万人の人々を集めたと言われている。だが、シネマトグラフの発明によってプラキシノスコープは瞬く間に斜陽の時を迎える。膨大な手間ひまをかけてフィルムを製作し、そのために時間を取られてシネマトグラフまではたどり着けなかったレイノー。この人の運命の無惨さには言うべき言葉もなくて、1910年、完全に用済みになった機械もフィルムもセーヌ河に棄ててしまったというのが堪らない。20年にわたって関わってきた己の人生最大の発明を捨て去る――このエピソードには何となく理解できるような、しかしやっぱり理解を越えたような悲しみがある。
 これもまた観られないから観てみたい、かなり強烈に観てみたいと欲望する対象である。今見ればきっととちゃちいのに決まっているが(写真は見たことがあるが、絵としては特に見られたものではない)、それでも私は観てみたい。
 映画でもアニメでもない、その前段階の光学的見せ物。でもきっとそこには、どうだ、すごいだろう、というような発明家の自負がほの見えたに違いないのだ。
 レイノーの作品は失われたことがあまりにもはっきりと分かっている例だけれど、アニメーションもたくさん作られては排棄されているのだと思う。どれだけのものが棄てられてしまったのかは見当がつかない。たいへんな手間と労力をかけたものが、棄てられるときには一瞬である。それは裁断される雑誌や書物と変わらない、いやそれ以上に無惨である。
 私が幼い頃にテレビで観て夢中になったクレイ・アニメーションも、どこにも資料が見当たらないものの一つだ。ヒトようのものが都市の中を動き回る、という単純なもので、はっきりとした言語をしゃべらない。幼い耳にも外国語のようではなくて、何だか分からない言語でしゃべっている。ただ抑揚だけがついているひそひそ話のような言語。私はこの言語でしゃべるのが得意なのだけれども、筆記はできない。何となく想像してみてくれ。ともかくも粘土みたいなものが動く。これは生きている粘土なのだな、と思って、私はとてつもなく感動した。不思議で不思議でたまらなくて、観ているだけでドキドキする。アニメの原体験ともいうべきものである。
 果して誰が作っていたものか、あるいは海外製のものか、そんなことも分からない。誰かが「NHKにおけるアニメの歴史」というような本でも書いてくれないかぎり、調べようもない。いっそのこと自分で書こうかしら(冗談)。
 ともかくも、このアニメーション体験が私をアニメ好きにした、と私は思う。果してこのアニメはまだこの世に存在するのだろうか。もう排棄されてしまったろうか。
 人の嗜好を大きく左右するほどの強烈なインパクトを与えるような作品ですら、この世では、排棄されてしまって顧みられないということがある。それは、そのものの持っている運命なのだろう。でももしかしたら、その作品が私をアニメ好きにしたように、それを観てアニメーターになった人もいるかもしれない。もしもそんなことがあるとすれば、その作品のスピリットだけは、今もこの世に残っているとは言えないだろうか。

●範国さんにこの映画についての情報をいただいた。ジョゼフ・ステファノ監督、59年の映画。ステファノは『サイコ』の脚本を担当した脚本家。ちなみに『サイコ』は60年の映画である。範国さんはそのことを指摘して、歴史的には重要なのでは……というようなことを言っておられる。ますます観たくなってしまうのだが……。