文体と好き嫌い

好悪の感覚は微妙だ。にしても、文芸の場合は、それは文体と不可分だろう。先日、売れっ子純文学作家・川上弘美の書評集を読んでいた。取り上げられている書物は、多くは私も評価するもので、選書眼は確かだと思われた。しかしその書評の内容たるや、あなたはこんなものを書かずに小説を書いていなさい、と言いたくなるようなものだった。そして、私はこの作家をちっとも好きじゃなかったが、この本を読んで、はっきりと嫌いだと分かった。文体がおぞましい。こんなカマトトっぽい文章で私とほぼ同年齢なのだ。耐えがたい。面倒なので詳しくは書かないが、書評家としては聞き捨てならない言辞が時に見られ、不愉快でもある。こんなにはっきりと嫌いだとわかることも珍しい……くもないか。嫌悪する作家って、ほかにも何人かいるな。
ちなみに私はミスチルが嫌いだ……と前にも書いたっけ? あの歌声を聴くと、ぞっとして耳をふさぎたくなる。年に一度か二度は聴こえてしまうことがあり、鳥肌が立つ。しかし一般にはとても人気がある。川上弘美は、そんな感じである。