金井美恵子大先生

引き続き文藝の書評を読んでいる。2005年まできた。これをネタにいくらでも書けるのだが、とりあえず一つ。仲間ぼめばかりである。
 たまに非常にレベルの高い書評があると、小谷真理だったり、『文藝』調じゃないと思うと豊崎由美大森望だったりする。
 ここからデビューした小説家が書評を書いていることも多い。角田光代などはさすがに芸を見せるが(つまりエッセーとしては良いが書評としてはいまいち)、柴崎友香は到底それに追いつけず(当たり前か)、濱田順子は書評には向かないのでかかない方が良かったという感じである。星野智幸のごとく、すぐれた小説家で頭も良い人が、どつまらない書評を書いてページを無駄にしているのを見るのも情けない。
 『文藝』の書評欄では金井美恵子へのひいき(使っているページが多い)があからさまである。そして金井は今もちゃんと人気作家であるらしい。それはすごいとしか言いようがないが、ここで使われているページほどに偉大な作家だとは思わない。そして、『文藝』は、どっちかというと、フェミニズム寄りで、男の視点が強い群像や新潮が(名前は挙がらないが文学界もそうだろう)敵視されている。しかししかしその点で戦闘的になることもなく(アンチフェミきわまる小説を罵倒……などはしない)、はなはだつまらない。別のページでやっているのだろーか? きっと時評欄みたいなものがあって、やっているんだろうな……。こんな偏った書評を載せているだけでは、文芸誌として恥ずかしいもの。
 書評だけ読んでいると、『文藝』は文学を愛していないんだな、と強く強く思ってしまう。たまに、文学への愛が感じられる書評に出会うと、おっとか思ってしまう。文学なんか愛してるのはバカの証拠だから、別に愛してなくてもかまわないけど、それなら文芸誌なんてやめちゃえばいいのに、文芸評論家なんてやってなければいいのに。
 でもってもー様の別冊みたいなのをたくさん作ってばんばん売ったらいいと思うよ。
 今の日本じゃ、文学を愛する子供が簡単には育たない。きっとそうだな、と思う。文学を愛して、文芸評論する……なんて絶滅危惧種だよね。