まことの恋をする者は一目で恋をする

東京新聞岡井隆の今朝の言葉。
マーロウ→シェイクスピアの用いたせりふとして紹介している。
この結びがむりやりだ。「一目惚れは男女の間だけではない。」うん。それは当然だ。続けて、結語。「好きな作家に一冊で惚れ込むこともある。」文章も変だが、内容もおかしい。一冊の作品には、作家の中身が詰まっている。読んで惚れ込んだのなら、一目ぼれとは全く違うだろう。『カラマーゾフの兄弟』を読んでドストエフスキーに夢中になったからと言って、一目惚れと言えるのか。それに、これは「まことの恋」の話だから、作家に引き当てるとすると全面肯定ということだろう。一冊目から魅了されないのでは、話にならない。
ここで、歌人らしく、一首などとしてみたら、何となく説得力があったのではないか。一首で惚れ込んでそれが持続するということはほとんどないわけだから、「まことの恋」にふさわしい。まあどっちにしろむりやり感は否めないが。
一冊単位で敷衍するなら、逆は真ならずとして上げている言葉、「一目で惚れて二目で嫌いになった」の方ではないか。一冊目には魅了されたが、ほかの作品では……なんてことはよくある話だ。
とはいえ、これでは話としては面白くも何ともないというのはわかる。作家の一冊などというところへ持っていくのが悪い。
この定義による「まことの恋」なんてしたことは一度もないが、一作目から魅了された作家ならいる。多田智満子などはまさにそうで、「花火」の冒頭から魅惑されてしまった。これなどは一目惚れに近いと思うが、やはり詩であるわけで、小説ではこうはいかないのではないだろうか。