エログロ

東京都青少年健全育成条例改正問題につては、数日のうちに、ネット内でこの問題が大きく広がり、リアルでも有名人が参加して記者会見が開かれることになった。
ということで、法案がまったく周知されないまま、何となく通る、という事態はなくなったようだ。やれやれ。いずれにしても多くの関心ある人はこの関連の主たるブログを見るはずで、ここを閲覧する人は少数だと思うので、好き勝手なことを書く。
先日引用した、第七条の雑駁さは、実にさまざまなものを網にかけてくれるわけで、こんなのもあんなのもそんなのもだめ。「そんなの」や「こんなの」探しをやっているだけで日が暮れる。
怪奇幻想小説、あるいは美術の分野では、少女愛少年愛は大きなモチーフの一つであり、エログロ、変態などと言われながら、その表現を勝ち取ってきた分野である。(つまり私にはあんなのやこんなののネタがとても多くある。)今さら、青少年の健全育成を著しく阻害する要因としてあげられても、はあ?てな感じしかしない。つまり、いろいろと言われてきたあげくに、ここ何十年かの間に、すっかり市民権を得て、毒気を抜かれてしまったテーマなのである。マンガ、ゲーム、ライトノベルなど、サブカルチャーのおかげだろう、基本的には。このあたり、歴史をきちんとたどれば、文学の役割も、社会状況の変化もわかると思うが、今はそんなことをする気はない。
毒気を抜かれた、ということは、今やそのこと(少女愛少年愛をいかに達成するか)をテーマに優れた長編を一つ書くのはなかなか難しい状況だということだ。前提の一つとしてとか、モチーフの一つとしてとか、描写の一つとしてであれば、力を持つ作品はいくらもあるだろうが。
あるいは一般的になってしまったことそのものを断罪したいのだろうか……そう。メジャーになると断罪されるということはある。怪奇幻想はもともと小さいマーケットだったので、相手にもされなかったのだ、というところはあるだろう。これも真面目に調べないとわからないのだが。
いろいろな表現問題について、小さいところでこそこそやっていると何も言われなかったりするが、中規模にやり出すと、何か言われる(サド裁判とか)。きわめて大きくなると、また何も言われなくなる……なんてことはあるのではないだろうか。