伏せ字

都条例は、悪書を指定してビニ本にしなさい、ゾーニングしなさということはできるが、発売禁止等の効力を持つわけではない。それができるのが猥褻物頒布罪である。

思春の森」という映画があるが、これは児童ポルノ法に抵触するということで発禁処分になったらしい。以下のブログの意見にほぼ賛成。
http://yojimbonoyoieiga.at.webry.info/200908/article_1.html
私は日本公開時に観ている。「春の目覚め」と「蠅の王」のいやなところを集めた感じ。今ならいじめ物というところだ。
で、普通にポルノ物として流通していたとき、これは性器にモザイクがかけられていて……いや、どんなゲージツ映画だろうと、日本では関係なくモザイクをかけるので恐ろしく滑稽なのだが……これが文学だと伏せ字に当たる。
あー、迂遠な枕だった。
チャタレー夫人も有罪になったあと、伏せ字で発売された。これは資料が手元になくて未確認。
私は以前、泉鏡花の戦前版全集を所有していたのだが(およそ二十年前引っ越しの時に売ってしまった)、それは伏せ字だらけだった。おもしろがって、当時、何が伏せ字になっているのかちらちら見たりしたんだけど、すっかり記憶から脱落。まったくどうでもいいようなところだったと記憶する。
戦前の検閲というのは、たいへん大きな労力をもって行われていたのだということが痛感される全集であった。
『発禁本』などを見ても、やはり、ピント外れの検閲がある。これは好著でおすすめ。

なお、猥褻な伏せ字を追っている著作家もいるが、未読。
何を有害と見るかは、時代によって異なるのはもちろんのこと、検閲者の感性によっても当然変わる。それぞれの人の感性が異なるため、恣意的にならざるをえないのである。
文芸の歴史を考えるとき、許容されるところはどんどんと拡大し、性においても残虐描写においても表現はより過激になっていると言える。かつての伏せ字部分は、お笑いにしかならないのである。その流れをどうして押しとどめることができるだろうか。それを逆流させたり停滞させたりするためには、スターリニズムのような徹底した弾圧しか方法がないように私には思える。
このことを包括的に考えることはたいへんに面倒なことだ。表現は、時代の子だからである。個人的な好悪や倫理観の問題とは別に、時は流れ、風景は変わっていくのである。それをどのように変えたいかを一個人が選ぶことは不可能だ。自分が住みやすい世界になるように、少しずつ努力していくだけなのである。