東京都青少年健全育成条例改正問題

児童ポルノに関連する「撲滅」のための都条例。

自主規制すべしと新たに付け加えられたものの一例。
「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」

法律文の表現があまりにもおおざっぱであるため、ライトノベル、アニメ、コミック、ゲーム全般の少年少女の性的な側面を描いたものがすべて網にかかってしまう。「もちろんみだりに恣意的な適用をしない」という文は盛り込まれているが、範囲がはっきりしないということは、どうにでもできてしまうということだ。このおおざっぱさによる規制は、表現の自由を含む憲法に違反する。
ポストに自衛隊派遣反対のチラシを入れて有罪になった例を考えよ。大きな武器を警察に与えてはならない。

反対集会に参加した人のまとめ。
http://d.hatena.ne.jp/marinba/20100307

条文のまとめ
http://fr-toen.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-cbc1.html

書協によるパブコメ
http://www.jbpa.or.jp/pdf/documents/seishokyo2009.pdf
その要旨は、定義が曖昧で納得できない、自主規制はしている、というもの。


児童ポルノペドファイルがおぞましいのは認めるが、それと創作物の規制との因果関係がまったくわからない。作品の背後にあるのは、むしろ時代の思考法であり、時代の見解である。例えば「私の男」はどう言いつくろってもペドファイル物であり、これに直木賞を与えてしまっているような時代であるわけだ。そうした考察は、こういう法律を考える人がまったく考えないとしても、音頭取りの石原は一応小説家なのだから、爪の先ぐらいは考えてもいいのじゃないか。まあ、「太陽の季節」という男根至上主義的で非倫理的、それこそ女を物扱いするような小説を書いて芥川賞を受賞し、そのことを恥じもしないような人間に、何も期待することはできないが。