政治についての決まり文句

民主党が選挙で大量の議席を獲得し、こんなもので大丈夫なのかと思われるおばさんなども国会議員になった。これまでの国会の議論(?)の場では、ああもう頭の悪いおっさんは勘弁してよ、みたいなのが次から次へと出てきて、結局テレビを消してしまったのだが、今度はそれがおばさんに変わったりするわけだ。おばさんや女の子はおっさんよりマシかもしれないが、やってみなければわからない。やっぱりああもう勘弁してよ、なのかもしれないしそうではないかもしれない。ともあれ人材がないのだな、日本は、としみじみ思ってしまう。こんなに人が余っているのに。というよりもたぶん適材適所にはまったくなっていないのだろう。
民主党で大丈夫なのか、という言葉がしばしば聞かれるのだが、国会の議論を見ている限りでは、自民党の方がよっぽどダメである。だからたぶんこれは内閣の話なのだろうけど、これまでの内閣だって、こんなのにでよくやれてる、というのでやっていたのだから、問題なんかあるように思えない。国際関係の事件が起きた時にも我関せずとゴルフを続けていた首相などをいただいていたり、いきなり政権を投げ出したりしたような首相を二人も続けて出したりしたような党なのだということを忘れてしまったのだろうか。(こいつらが全員当選するって……これが地縁血縁ということか)
結局、日本人がもともと政治にあんまり関心がないのは、国の現実を動かしているのは官僚だという思いこみがあるせいではないのか、と思う。官僚というものは、それだけ絶大な信頼を寄せられているのだが、それをいいことに、デタラメのし放題をやってきた官僚がいるせいで、その絶大な信頼は揺らいでいる。民主が官僚政治の打破・無駄をなくすと言えば、まことにその通りと思い、自民の官僚政治はもううんざりと思って民主に一票を投じたが、官僚をうまく扱えるのか、というのが、根源的な不安なのではないかと感じてしまう。
官僚(の上の方にいる人)は、この自民の歴史的大敗は、自分たちへの拒否なのだということをよくよく考えるべきではないのか。国民総体を衆愚とみなすのは許せもしようが、だからといってそれを踏みつけにしていいわけがない。衆愚を自分のような賢者が正しき道へと導くのだというのも鼻持ちならないが、理想があるだけまだマシだ。
この数日、第一党の座を明け渡し、プライドを傷つけられて怒りに燃えている(と思われる)自民党は、麻生の許での経済政策はうまくいったと思っているし、もちろん自分たちが悪かったわけではないと思っている(と思われる)ので、民意を真摯に受け止め、と言いつつ、テレビに出てきて討論を始めれば、細田幹事長は民主の政策を冷笑し、またもや「しずく論」を繰り返すのだった。戦後最長の景気と言われても、国民一般は多くがそれを感じられなかったということが、その上、不景気になれば最も弱いところにしわ寄せが、という現実がこうさせてしまったという認識はないのだろう。官僚上がりの政治家の典型という感じがしてしまうこの人などを見ていると、この人には国民が本当にバカの塊に見えるのだろうな、と思ってしまう。でも本当に愚かなのは誰だろうか。