スターダスト

 シネコンで。駄作。原作のほのぼのしみじみしているところ、星の魅力、少年の魅力はかなりカットして、特撮、アクションを重視。恋愛ものなのに……。ヘアスプレイに続き(?)Michelle Pfeifferが敵役の魔女で、やけに目立つ。もしかして主演はファイファーか。兄弟の亡霊はまあまあ。

 図書館に行ったら、児童文学の棚が気になってしまい、予定外の目に付いた本を借りて帰る。ジュニア冒険小説大賞とかわけのわからない賞が出来ていて、ラノベ同様、児童文学でも別世界や妖怪や退魔師の大盤振舞である。
 まったく、なんでこんなことになってしまったのか?

 「SF童話」についての、北川幸比古の言葉を引く。
「ロボットや宇宙人やUFOやタイムマシン、怪生物、超能力などが、妖怪変化や神仏、奇跡や魔法にとってかわった、意匠のひとつでもなく、SFがサイエンスとフィクションりあいのこだと考えてさらにSFと童話とのあいのこを作ろうと考えていたわけでもなかった」「SF童話は現代=科学時代の童話です、根本にリアリズムと合理主義があって、自然科学・社会科学・人文科学の成果をふまえ、現代の生活から空想し、子どもにむかって書きます」 

 現代のファンタジー童話とは、北川の言うSF的意匠が妖怪変化などの怪奇幻想的意匠に変わったものか。意匠だけを、私は今、拾っている。根本にリアリズムと合理主義……ファンタジーでもあまり変わらないと思うのだが、これはかなりなおざりにされている。しかしなおなんだかSFっぽいと感じることもある。それは現代が科学時代だからなのか? 設定がいい加減で、思考の突き詰めが甘いのか。
 そして、一点どこかで合理主義を突破していればファンタジーの場合は、一つ超えた作品になることもある。こければ、Lindsayの失敗作である。