上記の豚野郎はどいつもダメだ

 仕事が進まないため、映画を見に行く。画廊は中止して、ヴェルデさんのお勧めに従い、渋谷で「選挙」を見た。
 監督はテレビ・ドキュメンタリーをたくさん作ってきた人らしいが、予備知識無しに見ると、何だかわからない演出で、画面もおもしろいものもある一方で、ひどいものもあり、この長尺では冗漫な印象。日本のドキュメンタリーは欧米それと較べると、自然体ではあるが、映画としてのおもしろみに欠ける。これもひたすら題材のおもしろみに頼っている。
 映画の中で山内自身が「村社会」と言っているが、ここは川崎ではなくて、長坂か、と思った。いや、自民党員が、リベラルな人の間では自民党は弱い、民主党が強い、などと言ってしまうくらいなので、何というか。
 妻を家内と呼ぶのは、「お」をつけると「おっかない」になるから、と党組織の助っ人の女性が言う。その後、集会で、マジで、このいつ考案されたかもわからない前時代的でいい加減寿命が尽きているシャレを本当に使った。お約束ごとの世界である。
 どぶ板選挙というと、何か組織票が無いようにも見えるが、実はそうでもないということもよくわかる。印象的だったのは、雨の中、駅前に10人くらいが一列に並び、「山内和人です。いってらっしゃいませ」と順繰りに叫ぶシーン。シュールというか、映画の演出ではない、マジでやっているとろがすごい。あるいは幼稚園の運動会で、園児を前に選挙や自民党の話をする来賓。はたまた山内が何か失敗すると、怒鳴られ、これも山内が「体育会系」と映画中で言っている言葉の通り。さらに当選確定の時、選挙事務所にいなかった山内に、切腹ものだなどというせりふ。強固なヒエラルキーが存在するのだ。なんともはや。国会議員が威張るわけだ。
 さらに、投票前日、握手のために駆け寄った山内に、何か選挙があるの?といった調子のおばちゃん。なるほど、日本の政治を決めているのは、国民の無関心なのだ、ということがものすごくよくわかる。
 あーあ、なんか絶望的になっちゃうよね。費用は個人負担だそうで、いくらかかったのか知りたい。たぶんこの春の選挙には出なかったんだろうね、山内さん。何のために選挙に出たか、この映画を撮らせるためだった……というわけでもないだろうに。映画封切り頃にジャム・ザ・ワールドに出演していたけど、その時はろくに話を聞いてなかったよ。

 ところで、何かのエッセーで、引退後の父親(夫だったか?)が選挙に狂ったという話を誰かが書いていた。出馬ではなく、後援する。選挙事務所にたむろし、人集めし、街頭で叫ぶ、そういうの。とにかく、とてつもなくハイになれるらしい。団塊世代が選挙に狂う日も近いか?

 ついでに、「そして、デブルーの森で」というサスペンスを見る。ダニエル・オートゥイユが「隠された記憶」とやや近いような立場の男として主演し(映画はデブルーのが先)、似たような演技を見せられ、うんざりする。この、なんかロンパリ気味に見える人に二枚目をやられてもねー。だいたい女役すべてより背が低い……。ヒロインが魅力的でないため、ファム・ファタルもののサスペンスとして全然おもしろくない。そもそも内容がないため、からみのシーンばかり続く。上流階級の話なので、さすがにファッションは良かった。というか、それぐらいしか見ることろがない。まったく見なくていい映画。

 渋谷に出たついでにBig Issue最新号(表紙が鬼太郎と一反木綿だ!)を購入。標題は、ジョン・ウォルター監督の言葉で、この記事にあった「抗議票党」という党の活動の話の中に出て来る。。白票、積極的棄権の代わりに、該当者無しにしたいという気持の表れとして、「抗議党」の候補に票を入れる。当選しても即辞任。何だか奇妙だが、これは選挙そのものの改革を目指す第一歩であるという。
 『選挙』でも党にこれだけお世話になって当選していくのだから、党に背くなんてもってのほか、と説教されたりしているが、この「抗議党」は、まず党なのか、有権者なのか、というようなことも問うていく。
 で、それも、前述の通り、あら、選挙があるのね、てな調子の有権者ばかりだとねー。まあ市議会補欠じゃ無理もないのかも知れないけど。

 ついでに吊り広告。砂糖の広告で、砂糖は脳の栄養源というようなことが書かれている。砂糖は悪玉ではない、ということだが……甘いものと脳の関係についての誤解を助長してどうするのか。
 脳のエネルギーがブドウ糖なのは、広く知られている。また、三大栄養素として炭水化物を摂取するのは、ブドウ糖に分解してエネルギー源とするためだということも、必ず家庭科で習う。つまり、米の飯を食べればいいことなのだ。一日最低、茶碗二杯程度でいいのだから。やっぱりご飯を食べよう!