石黒達昌

芥川賞候補作の発表年を調査していて、いつも便利に使わせてもらっている「直木賞のすべて」「芥川賞のすべてのようなもの」で、たまたま、石黒達昌「平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに……」の選評を読んだ。その中に、横書きの論文風であることからだろう、いっちょ小説でも書いてやろうと書いたもの……というような評があり、びっくりしてしまった。
それでまことにまことに遅まきながら、書いておこうと思った。
まあ、小説の読み方は人それぞれではあるが、こんなにも読めていない人間が選考をしていていいのか。芥川賞文学賞としては大したことがないが(文学的には特に意味がないが)、社会的ステイタスは大きいので、本当ならもっとまともな、文学がちゃんと読める人に選考委員をやってもらいたいものである。
しかしかくいう私も実はハヤカワで『冬至草』が出るまでこの作家の存在を逸していた。『海燕』出身の作家なのに……チェックしていなかったのは、たぶん、幻想ではないと思ったのだろう。ごめんなさい。ごめんなさい。
で、『冬至草』を読んでから、過去の作品にさかのぼって読んだ。『冬至草』ではそれほど強く動かされなかったが、それでも魅力的な作家だとは思った。冷静なリポートのような乾いた文体で、死と生の根源に迫ろうとするのだが、それをするに綺想を用いているのである。寓話的とも読めるかも知れないが、そんなものではない。小説なのだ。『冬至草』には軽めの小品も含まれていて、読みやすい。
しかし90年代に書かれた作品はもっとすごかった。衝撃を受けた。「94627」「ALICE」「カミラ蜂との七十三日」等、たいへんな緊迫感をもって書かれており、内容ともども、まさに手に汗握るとはこのことか、という印象を受けた。「いっちょ小説でも……」というような軽いものではない。軽い気持ちでこれが書けるのであればそれはそれで天才的だ。本業の医師が忙しいのだろう、非常に寡作なので、あまり話題にもならなかったのかもしれない。いや、私が無知だっただけだろう。ハルキ文庫で復刊しているのだし、ハヤカワでは新刊を出しているわけだし。
石黒の文章は、「彫心鏤骨の名文」というものではない。この言葉から想像されるような「文学的イヤミ」からはほど遠い(私はこの言葉が嫌いなのだ)。しかし、力強さに加えて情緒(時には感傷的)もあるのだ。
小説は、いわゆる「文学的な」文章だけを許容するものではない。神林長平はコンテストの選評で日本語がダメだというようなことを言われたという。理系の神林の文体も変わっているのだが、それによって彼にしか描けない世界を描いている。石黒もまたそういう小説家の一人なのだ。文体も内容も、パターンにはめ込んで選ばれるような現代日本で、そういう作家は本当に貴重だ。
上記のような紹介では内容もわからないと思うのだで、一例を挙げると、こんな感じ。
芥川賞候補となった「平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに……」。架空の生物ハネネズミをめぐる論文形式の作品である。当然、『鼻行類』のような架空の生物物のコメディでなのかと思うが、そんなものではない。途方もなく長命なハネネズミという生き物を考え出し、それについて縷々記述している点は綺想的なのだが、焦点は、その生態を探る研究者の手法と思想に絞られている。そして生命とは何か、あるいは死とは、さらに研究の倫理は……といった、哲学的なテーマを真摯に問いかけているのである。

『最終上映』(九一・福武書店
『平成3年5月2日,後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士,並びに』(九四・福武書店
『94627』(九五・ベネッセ)
『新化』(九七・ベネッセ)
『人喰い病』(二〇〇〇・角川春樹事務所ハルキ文庫)
冬至草』(〇六・早川書房Jコレクション)