非実在青少年

これは、今、都議会に提出されようとしている東京都青少年健全育成条例の改正案の中に使われていろ造語である。小説、漫画、絵画、写真、アニメ、映画、ラジオドラマその他あらゆるアート表現において描かれた18歳以下の少年少女のことを指す。特に標的とされているのは視覚的なものであり、アニメ、ゲーム、マンガが中心と考えられる。

詳しくは下記に条文がまとめてある。
http://fr-toen.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-cbc1.html

簡単にまとめるとこうなる。

児童ポルノは撲滅すべきである。
だから創作物で児童ポルノにつながる不健全なものはすべからく排除したい。
あらゆるコンテンツ(図書、ネット、映画、ゲームなど)に規制をかけられるようにしたい。
年齢の明示がなくとも、音声も含むあらゆる表現において、18歳以下だと取り締まる側が認識した少年少女が性的対象として描かれており、取り締まる側がそれを不健全だと認めれば、都が不健全図書に指定して、青少年への閲覧を禁止することができる。
この条例を濫用することは許されない。


○最も問題なのは、取り締まる側の恣意により、取り締まる作品をどのように判断することも可能なように、きわめて曖昧、かつ、雑駁な表現を用いていることである。わいせつ物に対する判断や有害図書論議の歴史は長いが、それは何とも言えぬ、曖昧な「時代の常識」に左右される、きわめていい加減な物である。それをさらにいい加減にして網をひろげてしまおうというところが、到底法文とは思えない。
濫用しない、という条文はあるものの、濫用していない、と取り締まる側が言えばそれでおしまいである。

児童ポルノが許されないのは当然である。ペドフィリア(13歳未満の少年少女にしか性欲を感じない)は自分を抑えられないようなら刑務所か病院へ行け、と思う。中高生とセックスしたがるおっさんもどこかへ消えてもらいたい。
○しかし児童ポルノの撲滅と、いわゆる有害図書の排除との間にまともな因果関係があるのだろうか。これはずっと議論されてきたことだと思うが、この関係はむしろ否定されているのではないだろうか。
○しかも、この趣旨からすると、青少年から児童ポルノを描いた有害図書を隠して、児童ポルノに走らない大人に仕立てるということになり、あまりにも迂遠ではないか。そもそも書物で学んでペドファイルや強姦魔になったりはしないのではないだろうか? 成長に影響を与えるのは、時代の精神である。従って、子供らにもしも大きな影響を与えうるとすれば、「いかがわしいポルノ」などではなく、世間的に認められ、大いに売れ、喧伝される本に他ならない。「太陽の季節」や「私の男」などの方がはるかに悪影響を及ぼす。
○ネットから図書・映画まで、親が子供に見せるべき物についてあれこれ言うのは、親権への容喙である。
○閲覧が禁止されるということは、不健全図書は、図書館からは少なくとも排除になる。ネットも恣意的なブロックの対象となり、これまた問題が大きい

 伊藤整もまたチャタレイ裁判の被告となった。もちろん幻想文学の先達である澁澤龍彦サド裁判の被告となった。世の中には、発禁本の歴史を書いている奇特な人もいる。表現の規制の問題について、次には考えたい。