庭園詩集

庭そのものを中心に据えると、やはり詩ということになる。

漢の景帝(在位紀元前一五七〜同一四一)の弟、梁王は豪壮な庭園を築いた。梁園
あるいは兎園【とえん】と呼ばれる。王はここに多数の客を招き、豪遊したという。
後世、兎園をモチーフにした漢詩が多く作られた。例えば和漢朗詠集の中の「暁梁王」などがその例である。岑參(しんじん 七一五−七七〇)の詩も兎園を題材にしているが、かつての栄花が消え果てたあとの廃墟を歌っているのが特徴的で、日本的心性になじむように思われる。

    山房春事
  梁園日暮乱飛鴉  梁園 日暮 乱飛の鴉
  極目蕭條三両家  極目 蕭條たり 三両家
  庭樹不知人去尽  庭樹は知らず 人去り尽くすを、
  春来還発旧時花  春来 還【ま】た発【ひら】く旧時の花。


一穂の若き日のロマンチシズムがきらきらとしている。

  吉田一穂 「後園」(『海の聖母』1926)

明るく壊れがちな水盤の水の琶音【アルペヂオ】
日時計【サンダイアル】の蜥蜴よ)

光彩を紡むぐ金盞花や向日葵の刻。
洎芙藍【さふらん】が、その黄金を浪費する時。

微風に展く頁を押へて、指そめる翠【みどり】の……
御身、額の白く、香ぐはしの病めるさ。

露風のこの詩も同様に若書きで、メランコリーの愛らしいことよ。

  三木露風 「去りゆく五月の詩」(『廃園』1909)
われは見る。
廃園の奥、
折ふしの音なき花の散りかひ。
風のあゆみ、
静かなる午後の光に、
去りゆく優しき五月のうしろかげを。

空の色やはらかに青みわたり
夢深き樹には啼〔な〕く、空〔むな〕しき鳥。

あゝいま、園〔その〕のうち
「追憶」〔おもひで〕は頭〔かうべ〕を垂れ、
かくてまたひそやかに涙すれども
かの「時」こそは
哀しきにほひのあとを過ぎて
甘きこころをゆすりゆすり
はやもわが楽しき住家〔すみか〕の
屋〔をく〕を出〔い〕でゆく。

去りてゆく五月。
われは見る、汝〔いまし〕のうしろかげを。
地を匍〔は〕へるちひさき虫のひかり。
うち群〔む〕るゝ蜜蜂のものうき唄
その光り、その唄の黄金色〔こがねいろ〕なし
日に咽〔むせ〕び夢みるなか……
あゝ、そが中に、去りゆく
美しき五月よ。

またもわが廃園の奥、
苔古〔ふ〕れる池水〔いけみず〕の上、
その上に散り落つる鬱紺〔うこん〕の花、
わびしげに鬱紺の花、沈黙の層をつくり
日にうかびたゞよふほとり――

色青くきらめける蜻蛉〔せいれい〕ひとつ、
その瞳、ひたとたゞひたと瞻視〔みつ〕む。

ああ去りゆく五月よ、
われは見る汝のうしろかげを。
今ははや色青き蜻蛉の瞳。
鬱紺の花。
「時」はゆく、真昼の水辺〔すゐへん〕よりして――
(1909/7)

こういう西洋的イメージのロマンティックな詩に対して、朔太郎は、日本の土着風の装いを持ってくる。どことをどう読んでも異能の人と感じられる。

萩原朔太郎「夢にみる空家の庭の秘密」(『青猫』1923)

その空家の庭に生えこむものは松の木の類
びはの木 桃の木 まきの木 さざんか さくらの類
さかんな樹木 あたりにひろがる樹木の枝
またそのむらがる枝の葉かげに ぞくぞくと繁茂するところの植物
およそ しだ わらび ぜんまい もうせんごけの類
地べたいちめんに重なりあつて這ひまはる
それら青いものの生命(いのち)
それら青いもののさかんな生活
その空家の庭はいつも植物の日影になつて薄暗い
ただかすかにながれるものは一筋の小川のみづ
夜も晝もさよさよと悲しくひくくながれる
水の音
またじめじめとした垣根のあたり
なめくぢ へび かへる とかげ類のぬたぬたとした氣味わるいすがたをみる。
さうしてこの幽邃【いうすゐ】な世界のうへに
夜は青じろい月の光がてらしてゐる
月の光は前栽の植込からしつとりとながれこむ。
あはれにしめやかな この深夜のふけてゆく思ひに心をかたむけ
わたしの心は垣根にもたれて横笛を吹きすさぶ
ああ このいろいろのもののかくされた秘密の生活
かぎりなく美しい影と 不思議なすがたの重なりあふところの世界
月光の中にうかびいづる羊歯 わらび 松の木の枝
なめくぢ へび とかげ類の無気味な生活
ああ わたしの夢によくみる このひと住まぬ空家の庭の秘密と
いつもその謎のとけやらぬおもむき深き幽邃のなつかしさよ。