ル・グイン ファンタジーにできること

ル・グインの評論集は、ファンタジーの魅力を彼女なりに語ったエッセー集。値段の割に内容はあまりないが、おもしろい記述を見つけた。

ある時期、みんながわたしにしきりにこう言っていた。すばらしい本がある。絶対読むべきだ。
魔法使いの学校の話で、すごく独創的だ。こういうのは今までなかった、と。
 初めてその言葉を聞いたときは、白状すると、わたし自身が書いた『影との戦い」を読めと言
われているのだと思った。この本には魔法使いの学校のことが出てくる。そして、一九六九年の
刊行以来、版を重ねている。だが、それはおめでたい勘違いで、ハリーについての話を延々と聞
かされる羽目になった。」

 んー、ル・グインにこう言ってハリーを薦めた人の頭の中を覗いてみたい。いい根性してるじゃないの。
 このあと、ル・グインはハリーをゆるやかに貶し始める。

はっきり言えば紋切り型で、模倣的でさえある作品を、独創的な業績だと思いこむ――どうしてそんなことになるのだろう?

簡単に言うと、どこが独創的だ、ざけんなよ。勉強して出直してこい! といこうとになるだろう。
ああ、私も、たくさんたくさん目にしているよ、そんなことは。ハリーに限ったことではない。日本には、ル・グインがバカにしているような正統派の文学史も知らない文芸評論家や研究者が大勢いて、とんちんかんなことを平気で言う。すごいものだ、それは。
 ファンタジーやジャンル・フィクションがまともに取り扱ってもらえない、とル・グインは怒っているが、私は、日本では文学そのものが文学界の中にあってさえまともに取り扱われていないのではないかと思う。
 文芸業界の人の多くが、文学を愛していない、ということではないかと思う。文学を愛していたら、ファンタジーは読まないとか、詩は読まないとか、あり得ないよね? ましてそれを仕事にしているのであれば。
 それはともかく、ル・グインならずとも、ハリー・ポッターについて、もっときちんとした評価を与えるべきではないかと考えるのが、普通だろう。ポッター現象の総括ということでもいい、この騒動をめぐる検証は、出版人の最低限の務めとも言うべきことである。また、刊行当初、ハリー・ポッターを褒めまくった人たちも、最終巻が出たところで、何らかの見解を表明すべきだろう。井辻さんとか、何か書いてるのかな? つまらなくなって途中で止めた、でも、最後までこれこれの理由ですばらしかった、でも、何か言うべきではないのか。もしもどこかで言っているならごめんなさい。
 また、児童文学の研究者なら、ハリー以後のファンタジーがどう変質したかということを論ずるべきだろう。真摯で本格的な論考を望みたい。