紋切り型の魅惑

今日までお休みなので、ばか話。

去年の夏にとことんやったゲームに「ノーラと刻の工房 霧の森の魔女」というものがある。ゲームウィキに足跡を残すところまでやったから、大変に満足しているが、このゲームが一種のマルチエンディングであった。どちらかというと、ギャルゲーのようにいろいろなお相手との結果が楽しめるというか、いろいろなパターンの家族を作る話であるというか。主人公は女の子だが、パートナーには女性と男性がいて、それぞれに年上、同世代、年下的な性格が付与されている。(六パターンのほかにもその他が若干あるが。)物語が最も丁寧なのが年上の男性との道筋。その男性は、かつてはばりばりに仕事をこなしていた有能な人物なのだが、仲間の裏切りにあって地位・名誉・金銭を奪われ、田舎町に流れてきたという設定。ヒロインが彼を更正させようとがんばったおかげで、復活のチャンスを得るというプロットである。恋愛物としては、ありきたりなパターンである。現実にはこんなことはほとんどないのだろうが、物語の中では、今でも頻繁に起きる。さすがにこんな単純なものでは小説は書けないだろう、と思われるかもしれないが、意外にそうでもない。大きくくくればこんなもん、というのはいくらもあるのだ。そして、これが脚本家によって最も丁寧に書かれていること(この男性が非常に肯定的な性格を付与されていること)が、小説よりももっと不特定多数を相手に作られているゲームであることを考えると、こうした物語が共感的であるということ(すくなくともそのように考えられていること)ではないだろうか。
その他のパターンでも、姉さん女房的に成長の手助けをする、地位や身分とはかかわりなくその人自身を見て理解してくれる、等々、物語的恋愛パターンの王道が並ぶのだが、「更正」のドラマチックが、「物語」としては最も受けるのではないかということである。たぶん、昨今の小説では違う。「等身大」というのがまず一番数多く書かれているだろう。だから退屈なのだが……。現実にはありえないような展開がなんといっても物語の醍醐味なのである。現実は重くてやりきれないから、非現実を求めるのだ。ゲームは非現実性が高い。そして、小説とはちがって感情移入は少ない。ゲームをするという別の打ち込みが発生するからである。だからこそ、物語はドラマチックであってよいだろう。とはいうものの、私は小説でもドラマチックであってよいと思うけれど。
このゲームのトゥルー・エンディングでは、ヒロインは町全体に受け入れられ認められるという展開で、これが物語としては、当たり前すぎて、ほとんどおもしろくない。バッドエンディング「魔女狩りエンディング」が衝撃的なのだが、たぶんこれが最も現実的な展開であろう。
とにかくストレスフリーで、とことん楽しめるゲームであったが、物語のパターンということについても種々考えさせてくれるゲームであった。