ふしぎなふしぎな子どもの物語

ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか? (光文社新書)

ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか? (光文社新書)

アマゾンで予約していたはずなのに、未注文になっていたため、昨日ようやく本を入手。
一気読み。おもしろい、というより、非常にわかりやすく、読みやすい。
しかも値段に比して中身が詰まっているので、非常に得したような気分になる本である。
1960年代以後の物語メディアを総覧し、その概略、特徴を記している。取り上げられているのは、はゲーム(主にドラクエとFF)、特撮(ライダー)、アニメ(ガンダムエヴァ魔法少女)、マンガ(概略)、文学(ごく一部)で、歴史的な変遷に眼目を置いて、語っている。ドラクエとFFを全編プレイし直したらしく、頭が下がる。アニメ、特撮も見直すだけでもたいへんだったろう。世界名作シリーズなんぞ、私も断片しか見ていないので、これを通覧するのは、かなりの忍耐力が必要ではないか。……というように、その労力にまず目がいってしまう本だ。
この本の読者層がいまいち判然としないが、子どもと接するような教育関連の人や子ども文化に興味のある人が対象なのだろうか。とにかく、このような子ども文化の見取り図が欲しい人には最適の書物だろう。歴史的概説としては、簡便でありがたいような本だ。ただし、まったく知識がないのでは、この本は読めない。少女漫画のところなどは、ものを読んでいない人には、ほとんど理解不能だろう。知りたければ読んでくれ、ということか。
けれども、この本の焦点は歴史的概説にはなく、副題にある「なぜ成長を描かなくなったのか?」ということにある。大人と子どもの関係は、物語の中でどう描かれてきて、それがいつから変質したのか、というようなことが、歴史的な概観によって説得力を持ちながら、語られてゆくのである。
実は、本書を読みながら、大人とは何か、成長とは何か、子どもとは何か、という大前提がしっかりと語られないではないか、といういらだちに襲われなくもなかった。いつ、そのはっきりとした、というか、著者が考えているそれらについての説明が出てくるのか、と待ち続けながら読んでいったのだが、それは最後の最後で現れた。大人と子どもについての見解がそれなりに示され、そのことそのものが結論になっていた。それで、そういう前提がはっきりと語られないまま推移したのだと了解した。その結論も、確定的というよりは、もっと「子ども」の意味を考えたらどうか、というような雰囲気に近い。たぶん、大人とは、子どもとは、成長とは何かを、読者一人一人が考えながら読んでいくのが、良い読み方なのだろう。
というわけで、成長と人間と物語ということについて、私もゆるゆると考えをめぐらした。
かったるいので書かないけど。
それから、この本では、経済・社会状況という側面からの視点がきちんと入っているのでストレスを感じない。社会のあらゆるところが男社会であるという現実、経済的なプラスマイナスの現実をきちんと踏まえたうえで(大前提として)、さまざまなことを語っているので、そういうことをオミットしている(鈍感な)本を読んだときのようないらだちがほぼ皆無。すばらしい。