どろろ

アニメの話だ。DVDを購入し、再見しているところなのだが、とにかく、暗い。今観ると、とんでもなく暗い話だ。おまけにものすごく残虐で、人生と世界に不信感を覚えそうである。子ども向け……とはとても言えない。こうしたものが、今のゴールデンタイムに流れることは決して決してない。
私が9歳の頃のアニメなのだ。私はこれが好きでたまらなく、日曜の夜に外食に行くことになった時、行きたくないと駄々をこねて大騒ぎしたことを覚えている。いったい、こんな暗い物をちゃんと理解していたのだろうか? 9歳の自分など、ほとんど他人なのでよくはわからないが、しっかりとは理解していなかったに違いない。ただ百鬼丸がかわいそうで、かつ、かっこよかった、それだけのことだったろう。
それにしても……自分に影響を与え、自分を作りあげてきたはずの、過去のこうした作品を見ると、何かどうも陰鬱な気分になってしまう。アニメだけではない、漫画とか小説とか、どんな作物についてでも考えると、気が滅入る。暗い物が好きだったから……というような話ではない。
実は、私たちは、小説家の方々へのインタビューで、読書遍歴などをしばしば尋ね、その小説の源泉や小説家の人物を推し量ろうとしてきたわけだ。みなさん、それなりに答えて下さって、何となく、わかったような気になったりもしたのだ。しかし、自分のことを考えれば、それに疑問を覚えざるを得ない。私の体験などはとんでもなく支離滅裂だし、それらが自分をどう形成してきたのかまったく不明だし、意味を成さないと感じるのだ。「読書遍歴」などは虚構であり、また、系統だった文学体験などはあり得ない。そもそも、人は、その作品のどこに動かされているかさえ、はっきりとは知らないだろう。……つまり、ある種の捏造に加担したような気分になり、うじうじしてしまうのだ。
合理的に考えることが習い性になっている。評論家である私は、とりわけそうだ。けれども人間というものは、個々の人間にしても人間一般にしても、単なる合理では決して捉えることができない。混沌は辛く厳しいものだが、それに耐えなければ、理解への道は、本当は開かれないのである。