借りぐらしのアリエッティ

脚本が悪い。小人と少年の交流を主眼にしたいのだろうが、まったくそれが描かれていない。そのため、「君は僕の心臓の一部」とかいうラストのセリフも、まことに宮崎らしいものだが、まったく意味をなしていない。ばかばかしい。
絵は、とてもきれいだ。特にアリエッティが可愛らしく、最近は主人公の顔の揺らぎが気になったジブリだが、今回はわりと良い感じに仕上がっている。最初の方の「借り」のシーンが上出来。
俳優の起用は、今回は実力派をそろえてうまくいったと思う。人数が少ないし。ただ大竹しのぶとホミリーという組み合わせは今一つかな。
画面的にはスケール感がでたらめすぎて気になる。話がつまらないので、どうしても気持ちがそういうところに向く。
とりあえず、ジブリは宮崎監督と鈴木プロデューサーに引退してもらうのがいいだろう。

これはメアリー・ノートン床下の小人たち』を原作に、宮崎駿が脚本を執筆した作品である。映画の出来は、演出だけで決まるのではない。脚本の力は大きい。最近は、ハリウッドでも才能のある脚本家が減ってきていると感じるが、映画評を見ても、スクリーンプレイに対する批判めいたものはあまり見かけることがない。ひどい脚本でも、みんな気にせずに見ている。
原作があるということも知らずにわけのわからないコメントを付ける連中の何と多いことか。どの程度、原作に負っているのか確認せずに、その想像力を素晴らしいなどと言うな。
アリエッティや小人たちの名前は、原作通りである。イギリスの話だから、小人だってイギリス人風だ。なんでそういうものが日本にいるの? いぬいとみこの小人話では、人間が連れてくるということになっているが、そういう背景を考えたのか? どうして日本名にして日本人にしなかったのか? スピラー(これも原作に出てくる野生の男の子)はもののけ姫みたいなのに……。
私は『床下』はあまり好きではなく、どうせなら、『野に出た小人たち』『川を下る小人たち』などを合わせて、アリエッティの冒険物にしてしまえば良かったと思う。大人も子供も楽しめるジブリらしい明朗な作品に。ラストのヤカンを船にするのは、『川を下る』で使われているアイディアだ。しかし、最初の方の「借り」のシーンのすばらしさを観ると、このリアルで精密なイメージを捨てきれず、このイメージを生かした結果として、どうしようもない内容になったのだろうと思う。
「君たちは絶滅種族だ」というようなセリフは、原作のコンセプトから言ったらあり得ない。(ここのところでは、67億もいて知恵も出せずに困窮して、世界を滅ぼそうとしているじゃないかとか思わずツッコミを入れそうになったが、それはさておき。)このようなひどい言葉を平気で投げかけられる主人公の少年の身勝手さ無神経さは、生育歴から仕方ないにしても、観る者を苛立たせる。ドールハウスを差し入れるくだりも、なんだこれは?というようなもので、もっと別の交流の仕方があるだろう、と思わずにいられない。そもそも、あんなところに小人の家があるんなら、とっくに見つかってるよ! 
ハルさんに到っては、キャラクターが意味不明である。何年ぐらい、ここの管理をしているのだろうか。いつから小人の存在に気づいているのか。家主のことをどう思っているのか。小人たちをどうしたいのか。駆除したいのなら、駆除屋に頼むのもいいだろうが、捕まえて欲しいというのは、お門違いでは。あまりにも地味な話を盛り上げるために、悪役にしてみました、程度である。もうちょっとキャラクターをしっかり作れ。……で、これはみんな宮崎駿の責任だ。