ラピュタ・アニメーション・フェスティバル

ラピュタ阿佐ヶ谷という変わった映画館でやっていたアニメーションの連続上映。
特集はエストニアのアニメーションで、加えて「久里洋二でいこう」というドキュメンタリーとノルシュテイン関係のものを少し。それから杉井ギサブローの「ジャックと豆の木」の上映が一回だけあった。
エストニアのアニメはエリベルト・トゥガノフに始まるとされる。「リトル・ペーターの夢」が嚆矢だと。これは教訓的な人形アニメ。夢の話なのだがよく出来ている。
次がヘイノ・パルスで、今回は代表作「釘 ネイル」ほかの作品を見た。「釘」を見ながら思ったことは、小説を読む時に正解があるかどうか、という、先日友人とかわした酒飲み話だった。私は正解はあるという立場なのだが、それは専門家・評論家だからだ。批評する以上は、間違った読み方でもそれはそれでいいとか、わからなくても面白ければいいという立場には立てない。しかしこの機微を説明するのがなかなか難しい。正解の読みというのも曖昧な言葉だからだ。それで「釘」の話になるわけだが、これは求愛(あるいは恋愛と結婚)、サーカス、酔っぱらいなどのテーマで釘がパントマイムを演じるというもの。ラブラブを強姦と読み間違えたらどうなるか、あるいは酔っぱらっているということが画面から読み取れなかったらどうするのか、ということを考えたわけである。もちろん誰にでも分かるように作ってあるわけだが、つまりそれが「正解かどうか」ということである。間違った見方をして、それに気づかないのであれば、その本人にとって何も問題は起きない。また、間違った読み方をしても何もそこから発信することがなければ、問題はない。それについて何かを書くことについての責任の問題と言うべきか。
さらに、味わうということは、理解するということと不即不離ではないか、ということでもある。まったく不正解のまま、深く味わえるのか? という問題。トルンカがトゥガノフならば、シュワンクマイエルに当たるプリート・パルンの作品などを見ても思う。「ガブリエラ・フェッラのいない生活」は分からなかった。大筋はわかる。しかし、その表象が何を言いたいのかまったくわからないところがある。それでどうやって心の底から面白いと思えるというのだろうか。他人の作品について理解できるところはわずかだから、せめてわかったようなつもりにでもなる、ということがなければ、とても面白いとは言えないのではないか。
細部を取ってショッキングだと言うことはできるかもしれないし、面白いとも言えるだろう。果たしてその作品を愛せるのか? 感覚的にだけでもなんだかわかる、と言えるものでなくて、どうして愛せるだろうか。
プリート・パルンの初期作品はあまりなかったが、「おとぎ話」というのは比較的初期の作品に当たり、これはアニメ以外では描けない楽しいトリックアート的アニメでわかりやすい。子どもにも楽しく見られるだろう。同じように初期の「三角関係」というのは、最新作にまで連なるパルンの家族テーマの作品。この系列はパスだ。愚劣だと思う。「草上の朝食」はザグレブで賞を取った作品で、たぶん反体制アニメ。細部が理解できない。「ホテルE」も似たようなテーマだが、独立後の作品なので、東西両文化を表象しつつ、どちらも揶揄する、自分たちの文化への自負も見て取れるが、ラストではそれが救いになるというわけでもないという醒めた意識へと収束していく。描き方がしつこい(繰り返しが多い)が、最も動かされたのはこの作品。これに比べると、ほかの作品はどれも色あせて見える。
男女関係における、ある種の救いのなさは、エストニアの新しい作品でも繰り返し描かれる。これはパルンの影響なのだろうか。正直言って、うんざりという感じ。「人生の味」(むしろ命の味わいとすべきではないか、人肉食の話だ)や「ウェイツェンベルグ・ストリート」「マラソン」など、なんでこう退廃的なのだ。
感覚的によくわかると思ったのは、若い女性作家の「ドレス」。アニメとして面白いと思ったのはウロ・ピッコフ「ディアゴロス」と、「冬の日」に似た作りの「ブラック・シーリング」。センスのすばらしさを感じさせたのはプリート・テンダー。この「モンブラン」のフジヤマ(登山者のスーツケースで出来ている)というのが……これはやっぱり日本のイメージなんだろうか? そもそも富士山はモンブランではないと思うのだが。ヌクフィルムではやはり既に名声を確立しているリホ・ウントがおもしろかった。マッティ・キュット「夢の原理」も良かった。着ぐるみが出てきて可愛かった(笑)。

 私はどうもラピュタ阿佐ヶ谷が好きではない。ごく初期の頃、ここはアニメというとノルシュテインばかりやっていて、その上映会の雰囲気などは、年配者が多くて、ああパスだなという感じだった(自分も年寄りなのだが、だからアニメでは年寄りどうしではつるまないようにしている)。今は若い人が主になったので、あまりそういう感じはしないが、それにして好きな映画館ではないことは確か。そもそも小さすぎる。また、遠さは渋谷ととどっこいなのだが、運賃が90円も違い、なんだか理不尽である。どっちにしてもアニフェス以外は行かないのだが……。

 これで春のアニメ・イベントはおしまい。
 五月の予定……8日NFC ブルガリア・アニメ
        ? アップリンク ロシア革命アニメーション 1924-1979    

 私はアップリンクも嫌いなんだが……それにどうせフィルムではないんだろうけど、おそらく見たことないものがほとんどだろう。   
 
 もう一つ書き留めておくことがあった。久里洋二は、世界的には有名だが日本ではなぜかアニメーション作家としてはマイナー(たぶん60、70年代の前衛は、日本ではとても軽視されていて、カルトにしかなっていないせい)。そのドキュメンタリーの中で、自分の作ってきた物はほとんどがゴミだと言っているのが印象的だった。やっぱりその心意気だろう。人間というものはゴミに人生を蕩尽するのである。