少し停滞

 週末に長坂に帰り、帰ってから書評書きなどしていたら、今日はまったく名鑑をやる気がせず、図書館で借りた本や古いマガジンなどを読んでだらだらしてしまった。
 某女性作家のかなり前のファンタジーを読んでいたら、見事に途中で打ち切られていた。無理矢理終わらせてはいるけど。最初から五冊なら五冊と決めて書いたら良かった……と思ってもあとの祭りなのであろう。日本じゃマーティンもグッドカインドも途中で打ち切りは確実だな。グッドカインドはともかく、マーティンはもともと書かせてももらえないか。この作家、次の作品では、四冊でそこそこきれいにまとめていた。でもこの構えで四冊なら前の作品の五冊はかわいそうだよね……。こちらの方は難はいろいろあるけど、悪くなかった。
 名鑑で調査していると、打ち切り、途絶、などがたくさんあって、終わらせられない作家もいるのだろうけれど、売れないので打ち切り、というパターンも多いのだろうと思う。二冊出して、まったく尻切れトンボで後が出ないとかさ。よくある。たいてい初巻だけ買っているので、まあまあと思った作家が打ち切りのこともあれば、そこそこ続いてきちんと終わりまでいく場合もあれば、ひどいと思った物が延々と続いていて驚く場合もある。最後のパターンの物は徐々に上手くはなるのだろうが、スタート地点が後方なので、完全な挽回は難しい。しかし売れ続ける。わからないものだ。ヒドイと思ったものが当然のように打ちきりになることもある。そのあたりは結構わからない。Aが良くてBがダメな理由。
 マガジンでは、主人公の名前が自分と同じだというくだらない理由で某短篇を読む。ちゃんと書ける作家だと思っていたのに、一部添削したくなった。
 話は逸れるが、名前と言えば、勝手に人の名前をタイトルに使うなと思うことはないのだろうか。私などは自分の名前がタイトルに使われているその作品を目にすると気分が悪い。呼び捨てだし。例えば、デイビッド・コッパフィールドとかジェーン・エアとかフルネームならまだしも、名前だけというのはどうにも。かちあう確率が高い。女の名前というのは実によくタイトルになっていて、例えば鏡子の家とか、杳子とか……最近はエリカというのも読んだな。同じ名前の人はいやじゃないのかなあ。
 そういえば、私なんぞ、中学以来の友人とそっくりの名前の某作家が、どうしても好きになれない。人の友だちの名前を勝手に使ってからに……などと思う。ひどく理不尽ではあるが。