文章が電波

 次男が電撃を読みたくない理由。文章が電波だから。わからなくもないが、この評言自体が何とも。
 これは、牧野修が自信があると語る「電波系文章」とは違う。日本語の意味を無視して(あるいは誤解してか)、変にかっこをつけている、何とも言えないダメ文のことを指す。
 読者も若くて、日本語をよく知らないから、たぶん意味をとれないところがあっても飛ばして読んで、誰も変なところや間違った意味などには気づかない。
 ネットで書いていると、どうでもいい文章を書いてしまうことが多いわけで、その延長上にあると感じる。ケータイ小説と変わらないではないか。
 小説としてどうか、というようなことを、電撃に言っても仕方がないが、こうした作品が、ファンタジーとして書かれる、というか、ファンタジーとしてしか書かれない、という点にひっかかりを覚える。
 さらに、こういうところ出身の作家を一般小説も取り込もうとか愚かなことを考える点にもひっかかる。
 日本語を大事にしないところに、小説の未来はないと思うのだが。幻想文学というジャンルに於いてはより一層そうなのだが。
 ひどい作品を読んだので、ガス抜きに書いた。新人の作品なのでひどいのは仕方ないが、それを直そうともせずに賞をあげてしまう出版社のセンスも疑う。