フクシマでひとくくりにしてくれるな

 2011年7月20日、友人の翻訳家・和爾桃子さんにお伴して、福島県南部の石川町を訪れた。
 
 現在、福島原発の事故のせいで、「フクシマは危険」とひとくくりにされてしまっているが、県内にも充分に低い空間放射線レベルの地域はある。
 その一つが石川町である。汚染等高線を見ると、石川町から南の方角へ末広がりに汚染を免れたことがわかる。空間放射線量は、ホットスポットとされる流山や柏よりも、当然のように低い。
放射線拡散地図参照・白河といわきを結ぶ線上、無色地帯に石川町がある)
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 原発から100キロ以上離れた県西部の会津地方も年間基準値を下回る低さだが、原発の南西部もまた被害の軽少な地域であり、この三角形の地帯に入る石川町、矢祭町などは、会津地方と変わらぬ低さなのである。
 私たちが訪れた日は雨もよい。モニタリングポストの環境放射線量の測定値は0.12マイクログレイ/時(12時40分計測)。確かに通常時よりは高いかもしれないが、決して危険な値ではない。

 石川町はまた、古くは鉱物の産地であり、堅固な地盤を持つ地域でもある。その堅固さゆえに、かつては首都機能移転の候補地ともなった。東北地方太平洋沖地震では震度5強を記録したが、被害は軽少で、住宅全壊は1棟、半壊が17棟だそうである。道路の被害はほとんどなく、インフラは損傷を受けていない。私たちが訪れたときには、倒れたブロック塀を二件ほど見かけたし、屋根瓦が落ちていたり、一部破損が見られたりといったことはあったけれども、東京での被害と較べても軽微と言えるだろう。

 地震そのものの被害も、原発による放射能汚染での被害もなければ、万々歳ではないか、と思われるだろう。にもかかわらず、今、石川町や近隣の町を苦しめているものがある。それがいわゆる「風評被害」である。
 福島県の産物は今、「福島県産」とくくられて、敬遠されている。放射能検出されず、という結果があっても、出荷を見送らねばならなかったこともある。
 パイプハウス内で周年の管理栽培を行う大規模野菜農園・御光福園芸の吉田常一さんにお話をうかがった。

〈主力商品は葉菜で、おおむね、ほうれん草7、小松菜3の割合です。千葉大学の開発協力を受けた養液土耕で減肥栽培していますので、アクが少なくて、食べやすいほうれん草が栽培できるんです。試食してくださった方はみなさんえぐみがないのに驚かれますし、ふだんはほうれん草なんか食べない、というお子さんでもどんどん食べてくれるんですよ。
 ところが、ちょうど出荷できる段階になったところで、出荷停止になりました。放射能が検出されなくても、福島県産ということで、すべて廃棄せざるを得なかったんです。
 それでも社員を飢えさせるわけにはいかないので、大根を植えたりトマトを植えたりして、何とかしのぎました。ようやく、ほうれん草も出荷が可能になってきたので、栽培を再開したところです。〉

 お話を伺ったハウスの中では、色づき始めたトマトとミニトマトが育てられていた。そして隣のハウス内にはまだ若いほうれん草が……。大口の契約も取れ、8月からはナチュラル&オーガニック ネットスーパーOisixhttp://www.oisix.com/topPageG5.htm)でも取り扱ってくれることになったという。
 もはやこれまでか、と周囲も思ったというほどの、相当な打撃にもめげず、なおも栽培に取り組む吉田さんと若い社員たちの姿には胸打たれるものがあった。



若いほうれん草

 今、現実に放射能に汚染された食材が出回っている以上、「風評被害」とは言えないのではないか、という声も消費者の間からは聞こえている。けれども、手間のかかる検査をして、安全だということがわかっても、「福島県産」ということでひとくくりにされて拒否されるのだとしたら、生産者にとっては「風評被害」以外のなにものでもないだろう。農地が汚染されてしまった生産者の苦悩は計り知れないが、きれいな作物を廃棄せざるを得ない生産者の苦悩もまた深いのだ。
 こうした状況は、消費者にとっても悩ましい。結局のところ、生産者が自ら安全であることを示すほかないし、消費者もまた、何らかの見識を持って食材を求めるほかないのである。
 ちなみに放射線感受性は、50歳以上になると激減し、影響力はきわめて小さくなる。そして低線量被曝の結果が癌となって出るのは10年後、20年後である。高齢であればあるほどその影響は少ない。従って、ある年齢以上の人が、汚染された食物を子供には回すまい、自分が口にして生産者を救おう、と考えるのもまた一つの見識なのである。

 石川町は、古い歴史を誇る町で、温泉にも恵まれた観光地でもある。県下随一と言われる老舗の旅館・八幡屋をはじめとして、旅館も多い。しかし、観光客は激減している。やはり「福島は放射線量が高くて怖い」というイメージが先行しているからだろう。会津地方は早々と安全宣言を出して、観光客を呼び込もうとしている。石川町もまた、安全をアピールしているが、なかなか厳しいものがあるようだ。
 石川町は桜の美しさを誇る町だ。加納武夫町長は桜のことをしゃべり出したら止まらないほどの桜好きで、その口癖は「(日本三大桜の)三春の桜は一本だが、うちは千本だ」というものであるらしい。もちろん、三春にも滝桜以外の桜がちゃんとあるのだけれど。桜の季節は過ぎたが、今は蓮が美しく咲いている。例年なら、写真を撮りに多くの人が訪れるというのだが……。被災地を支援したいと願っている人々には、大勢に惑わされず、きめ細かく情報を拾って、主体的に行動してもらいたいと願わずにいられない。
 石川町のように被害の少ないところが、風評被害もなく、産業が沈滞せず、元気な状態でいられることが、被災地を含めた福島県全体の活性化にもつながるのだ。

 一方、石川町のような、被災地とは言いがたく、逆に被災者を受け入れているような福島県内の自治体には、もう一つの恐れもある。それは、いろいろな事業計画のカヤの外に置かれ、地域として取り残されてしまうのではないか、という不安である。県は放射線被害のひどい地域の問題や、次々と問題になる汚染作物の問題で、福島県全体の将来を考えるというところまで手が回らない状況であるらしい。それならば、最小単位の自治体で何とかするしかない。
 町長は語る。

〈私には、石川町の町民に安心で安全な生活を保証する義務があります。石川町に住んで良かったと思えるような政策を、20年、30年先を見据えて、打っていかなければならない。〉


石川町・加納武夫町長

 石川町では、地震に強い地域であることをアピールして、東京の企業を誘致できないかと考えている。首都圏での地震の恐れも取りざたされている今だからこそ、という考えだ。
福島空港から車で15分、新幹線・新白河駅から車で40分。都心からも思いのほか近い。そして地価が圧倒的に安い。
 例えば、データセンターのような、どこにあっても良いが、なるべく危険が少ない地帯であることが条件のようなもの。あるいは、会社の機能を一部避難させておくエスケープセンター。さらには、企業ばかりでなく、個人向けの避難ハウスの可能性もあるだろう。
 実は、つい最近も、東京からの移住者があったという。石川町のすべてを考慮した結果だろう。
 どのように石川町の未来が開けてゆくかはわからない。けれども、ともかくも今、石川町の人々は、福島県の復興を牽引するべく、自らを「トップランナーISHIKAWA」と名付け、「がんばっぺ石川」を合い言葉に、活動を展開している。その活動の実り豊かなることを願わずにいられない。

*石川町応援団募集のページ *
http://www.furusatokaiki.net/local/2011/07/post-28.html