異端が輝いた時代

昨日の東京新聞・大波小波(署名・道代)の記事のタイトルである。
澁澤龍彦の23回忌の法要をめぐる雑感だ。異様に不愉快だったので、煩瑣を厭わずイチャモンをつける。
百人余が集まったということについて「政治家ならいざしらず、文学者、それも札付きの異端派で二十三回忌とは珍しい。これは澁澤がもはや前衛的論客ではなく、戦後の鎌倉文士として文学史に記憶されつつあるいうことだろう」と述べる。
23回忌のようなあまりなされない法要が営まれたのは、未亡人の龍子さんが、澁澤龍彦の友人・知人、年少の崇拝者、また出版社との関係を非常に大事になさる方だからであろう。彼女自身も夫を愛惜する一つの形として法要を営むのではないか。「政治家ならいざしらず」とはまったく意味不明である。
百人の人が集まるといっても、礒崎さんに言わせれば、我々の世代がいちばん若いくらいだそうなので、一種の同窓会的な面もあるのだろう。法要などというものは、一般人には遠くの親戚がたまに集まる場だが、文学者にとっては、昔の文学仲間がたまに集合する場なのだ。澁澤龍彦はしかしまだ「桜桃忌」のようなことにはなっていないが、やがては、そのようになるのかもしれない。私は知らぬ。
「鎌倉文士」というのは実態が不明だ。澁澤さんは神奈川の近代文学館では確かに「鎌倉に住んだ文学者」として扱われるが、そこに住んだということ以外に、「鎌倉文士」という何か一貫性のあるくくりでもあるのだろうか。また澁澤龍彦は去年にも生誕80年ということで回顧展が神奈川近代文学館で開催されたが、そのずっと以前にも企画展が開かれたほどで、文学史には既に記憶されている。そもそもちくま文庫日本文学全集に一巻が当てられている。既にまるっきり文学史上の人だ。そして「異端派」というのが何を指しているのかよくわからないが、澁澤龍彦自身の文学が異端的だったとは、到底言えないのではあるまいか。遺作となった『高丘親王航海記』は『文学界』連載(文藝春秋刊)読売文学賞受賞であり、それこそ普通の幻想文学であって、異端とは関係がない。世間的に「札付きの異端」であったのは、サド裁判の頃だけだろう。それも当時の文学界は支持したのであるから、文学的異端とは言えない。当時の裁判に向かう態度は「やんちゃ」と評されても、それ以上の域を出ない。異端であるには澁澤はスマート過ぎはしないだろうか。(前衛とあるのもおかしい。澁澤には前衛的なところは最初から最後までない)そもそも川村湊が「異端とは何か、実質があるのか」と問うているように、この概念は、「異端文学の復権」という出版上のムーブメントと共に作られた概念に過ぎないのではないだろうか(確証はないが)。
そして「異端文学の復権」には澁澤も関わったが、三島由紀夫の影響なども非常に大きく、では三島由紀夫は異端の文学者とされるのか? といえば、そんなことはないだろう。あるいは澁澤のマンディアルグ風の若書きの小説は、反俗の気に充ち満ちているが、それをしも異端というのであろうか。では、坂口安吾なども差し詰め異端であろうか? 後期の小説群は、露伴花田清輝の流れを汲む史伝随筆から小説へという流れを推し進めたもので、文学上の系譜がたどれる。ということは、どんなに頑張っても異端たりえない。異端とは正統に対する異端であり、日本文学の何を正統とすると異端なのか? 〈道代〉が異端について漠然としか捉えていないのは明らかで、次はこう続く。
「彼の死後、仏文に政治家的学者は出てもスター評論家は輩出していない。芸術家や舞踏家が相集い、深夜の酒宴に放吟するサロンの伝統は途絶えたままだ。今回の参列者が共有していたのは、異端が異端として輝いていた時代への郷愁のように思える。」
あー、まったく紋切り型で、内実とは関係のない空疎な言葉だ。政治的評論家とは、私の世代の福田和也のことであろうか? 彼は仏文とは言ってもまともな翻訳の一冊もないただの語学教師なのでは? そしてかつては、文芸作品の採点などして世間的には評判の高い、「スター評論家」ではあったろう。そういうものをもてはやすのは時代の流れだ。そして、現今は「スター評論家」などという存在があり得ないのだから、仏文に限定するのもどんなものか。「サロン」については、この幻想というのは根強く、私たちの世代もこういうものを持たなかったせいで憧れる人は多いと思うが、これは澁澤に限らない、60年代的特性である。そして渡辺一考のようにそれをきわめて高く評価して、今を軽蔑する人もいる。アニメで言えば、三人の会などが結成され、草月ホールで上映が行われていた60年代当時は、やはり種々のアーティストが融通無碍に交流するということがあった。だから武満と久里洋二のコラボなどがなされるわけだ。澁澤一人にとどまらない話であり、時代性の問題である。そして、生き残った老人たち(70代以上の人)が、そのような昔を懐かしむのは当然である。まして、二十年も前に亡くなっている人の法要なのだ。同世代の人は、いちばん愉しかった時を思い出すのは当然で、60年代にそれがなったとしても何の不思議があろうか。その頃、澁澤たちは30代だったのだ。だが、それを「異端が異端として輝いていた時代への郷愁」などとくくられてしまってはたまらない。つまり少数派だったが気勢だけはあげていた若い時代の方が、偉くなった老人の今よりも良いのは、老人にとって当たり前のことではないか! 若い人たちが礼儀として、年上の人々のその感情に表面的に付き合うのも当然であろう。私の世代や私より若い世代の参列者が何を思ったのかは私は知らない。自他共に認める澁澤龍彦マニアの礒崎さんなどは、澁澤さんが生きていたら、今の自分の仕事も見てもらえたのに……と思ったのではないか。そして久生十蘭全集が順調に刊行され、受容されていることを墓前に報告したことだろう(推測)。
「思えば70年代まで幻想文学業界は賑やかだった。仏文の澁澤、独文の種村季弘、英文の由良君美という、三人のダンディが競って気を吐いていた。」
いったいこの〈幻想文学業界〉とは何か? まったく不明である。出版面から見ると、60年代70年代が重要であり、桃源社の各種の日本文学面での綺想小説の掘り起こし、白水社幻想小説シリーズ(〈道代〉はこれしか知らないのではないかと勘ぐりたくなる)、新人物往来社の「怪奇幻想の文学」、創土社のブックス・メタモルフォシス、国書刊行会の関連書の刊行とあり、国書の『幻想文学大系』は80年代まで続いていくわけであるが、主要な作品が70年代に出たのは間違いないだろう。そして「怪奇幻想の文学」、創土社や国書に関わった、紀田順一郎荒俣宏といった平井呈一系列の人たちの活躍はまったく落とせない。〈道代〉の視点は偏頗である。
つまりは、そもそも、澁澤を異端といい、幻想文学というところで括ろうとするのが間違いなのだ。
そのあとに続く、由良・種村・澁澤に対する評価は視点もでたらめだ。「世間知に長けた種村は葬儀を簡略にして遺族を労った。狷介な由良は後世に記憶されることを拒み、遺族はその命を受けて著作の一切の重版を拒んだ。澁澤だけは全集が大ヒットし、今でも若い世代に文庫本が読み継がれている。」
種村は葬儀をしなかった話、由良は死後の著作に関する話、澁澤の人気の話。由良さんはそもそも学者で教師で、種村や澁澤とは立場も著作量も違い、帳尻を合わせるためにあげられるのは不愉快だろう。由良君美は死後にその先駆的な卓見を含むエッセー集がまとめられたことも申し添えておこう。この書き方では澁澤さんにはまるで遺族への思いやりがなかったみたいだし、種村さんは文学的業績より世間知で目立った人みたいだ。この統一感のない記述は何だろうか。
「海外文学の翻訳がアメリカもの一辺倒となり」
そんなことはございません。爆発的に売れるのは米文学だというだけのこと。沼野充義若島正といった人の仕事は無視なのか? エリアーデの作品集が出たのも近年のことだし、他にも西村英一郎とか、50年代前後生まれのこの方面における活躍を何も見ないのはなぜか。
「異端の小出版社が壊滅してしまったのが残念。」
いったいいつの話。南柯書局とかのことですか? 奢ば都館とか? ペヨトル工房とか? いや、私には異端の小出版社などという概念がわからない。それに、残念、ぐらいのことしか言わない人が本を買わないから、出版社はたちゆかなくなるのだ。
「あと二十年もあれば三人とも生誕百年ではないか」
それは澁澤は去年生誕80年記念展をやったのだから、そうだろう。種村季弘は去年生誕75年だった。区切りのいいことに何の意味がある。まったくくだらない。
「彼らが無償で開拓した文学の領野が継承されることを望みたい。」
これが最後の一文だ。「無償で開拓」……この言葉は何を意味しているのであろうか。文学の領野を「有償で開拓する」ということがあるのだろうか? 誰かから請け負ってやるのか? 損得を顧みず?  普通、文学ってのはそういうふうに関わるものである。エンタメで新しい領野を開拓したときには、結果的に無償ではなかったかもしれないが、有償で開拓したとはいわれはしないだろう。わけがわからない。
「文学の領野」……広すぎちゃって困るの〜とでも歌いたくなるようだ。彼らとは先に挙げた三人だろうが、この三人の守備範囲を合わせると、どうしようもなく広い。それこそ最も前衛に意識的だったのは由良さんではないかと思うが、これはいろいろな形で、弟子筋に受け継がれているだろう。筆頭は四方田犬彦だが、富山多佳夫なども批評分野では衣鉢を受け継いだとも言えるのではないか。そして冨山は後進の育成にも力を入れていると思う。しかし受け継がれるかどうか、才気の問題でもあり、文学の裾野の広がりという問題でもあるので、難しい。澁澤さんが三島由紀夫と共に関わった文学の再評価については、個々の作家の全集という形で実を結んでいるし、後続の評論家ということでは堀切直人のような人物もいる。先に述べた、平井呈一の流れを汲む方向と、澁澤の方向と両面を吸収した東雅夫の仕事は、日本文学の側面において、相当程度の成果を収めている。ドイツやフランスなどの幻想文学については、実際には窪田般弥や前川道介、といった学者たちの役割の方が大きかった側面もあり、彼らの仕事も弟子筋によって地道に続けられているだろう。実際、あまりにもいろいろな方面に拡散したので、追っていくのはバカらしいぐらいだ。高山宏のような評論家もいる。ほかにも私の世代には、私がよくわかっていないだけで、触発されて仕事をしている人はたくさんいるのではないか? 澁澤の影響を受けて小説家となった山尾悠子篠田真由美高原英理のような作家が優れた幻想小説を執筆している。いろいろな面で受け継がれているのである。その下の世代へは、私たちの前後の世代(澁澤・種村におそらく最も影響を受けた世代)を通じて、流れていくものがあるだろう。
 しかし、個性までは受け継げない。澁澤の文体は澁澤だけのものであり、種村季弘の文学世界は誰にも真似できない。露伴花田清輝には誰もなれないのと同じである。そして、彼らの文学は、文学として普通に読まれていくべきものとして厳然と存在し、そしてそれ以上のものを〈文学〉は要求しないのである。
 こういう文章を読むと、現代において、巨人がいなかったり、文学の立場がほかのアートと比べて強くなかったりすることがいやなのだろうか、と思ってしまう。
 私は昭和へのノスタルジーを一切持たないし、過去の澁澤に憧れもしない。わずかに接し得た、晩年の澁澤・種村のたたずまい、というよりもわが『幻想文学』への接し方において、深く敬意と愛情を抱いているだけだ。郷愁は大したものを生み出さない。稀に詩人が良い詩を書くモチーフとなるだけである。