ピアノチューナー・オブ・アースクエイク

 今日見てきた。後ろの席で女の子が、日曜日なのにこんなもの?とやや不審げな声を出している。見終わったら仕方ないか……と思ったのではないか。
 ベンヤメンタほど意味不明ではないが、ベックリン「死の島」を舞台に、何とも言いようのない世界を描いている。前にも書いたが、ロクス・ソルス、モレルの発明などにインスパイアされた作品で、特にモレルの発明を読んでいると、話はまったく違うが、あれからここんとこをもらったのね、というようなことがわかって内容が理解できる……というような作品である。モレルの発明はあらすじ事典でもあらすじにしたので、確認に使ってくれたまえ(書きつつ虚しい)。
 アニメ部分は、予告編だけでほぼカバーできているので、それを目当てには行かない方がよい……いや、もう上映もそろそろ終わりそうな感じだが。ほんと、アサンプタの役割とか、思わせぶりなだけで実は見たままの役なのか? とどうにも未消化な感じである。普通の映画にすればいいのにねえ。

 ついでにカレル・ゼマンの水玉の幻想とホンジークとマジェンカを見る。囚われのマジェンカがやけに明るく歌うメインテーマにホンジークが聞き入るシーンが、やっぱりいいなあ。
 古いアニメは、若い人には見られないのだろうか。漫画は古くて読めないものがあるみたいなんだが。私は新旧をほぼ問わないので、そういうことはよくわからない。見たり読んだりするのに障害があるものは下手なものの方が圧倒的である。古さではない。

 電車の中では、軽いエンターテインメントを読む。仕事の読書と作家名鑑の校正以外では、名鑑執筆時には読み切れなかった本を順次読んでいる。
 古川日出男の聖家族について、東京新聞では、豊崎由美が絶賛したのに続けて書評でも取り上げている。大森望が時間をかけて性根を据えてじっくり読もうというようなことを書いていて、あ、もう時間がないから読めない、と思ってしまう。実際、数ページ読んだところで挫折中なのに、時間をかけてとか言われちゃあね、当分復帰できそうにない。本は逃げないので、一年後ぐらいに読めばいいかと思う。実際、もう積んである本がこの五年でどうしようもなく増えてしまって、死にそうなのだ。それにしてもこんなに厚いのに軽い本だ。私の事典もそんな風にできるのかしら? って判型が違うか。

 聖家族の読んだ数ページの中に方言が出てきた。かつて試みたけどとても無理なので挫折した、と言っていたが、もっとライトな気分でとりあえずやっておこう、という風に考えたのだろう。ごく部分的な、ちょっとした使用だった。実際、東北地方の鼻濁音とあいまいな音を表記するのは無理よね〜。関西地方のイントネーションの表現ができないのと同様に。方言研究の本の表記方式ではとても小説は読めないし。方言の使用については、やっぱり音声に負けてしまうような気がするので、全面的な使用ではなく、別の活用を考えるというのは妥当なところなのだろう。