全部夢だったら

 保坂和志「〈私〉という演算」という作品集(本人も出版社も小説として本を出しているが、ただの雑文集にしか見えない。本のデータでさも前衛っぽく書いていたので幻想関連ではないかと思ってチェックしてとんだ無駄足だった)に、エヴァの話が出てきて、普通の中学生シンジという夢をめぐって、これまでの人生が全部夢で、目が覚めたら14歳というのでもいい、と中学からの友人と話が合った、という話を書いている。40歳は重い、というのである。これって保坂の本音? シンジラレン。
 これまで頑張って生きてきて、自殺することもなく、ようやく死というゴールが見えてきたぜ、という時になって、また中坊に戻って生きなおすなんて、まっぴらごめん。このあいだの中学の同窓会でも、昔に戻りたくなんかないなよねーと友人と話が合ったが、そんなことになったら、絶望してしまうのでは。明日には私という存在が消滅していることを願って、毎夜9時にはふととんに入り、結果としてやたらな早朝に目覚めて自分がまだ生きていることを知る、というような日々に戻りたいわけがないだろう。エヴァの夢は、シンジが現実に絶望しているから見てしまう理想の夢であり、中学生にとっての現実とは、大人にとっては、シンジが見た夢のようなものであっても、彼ら自身にとっては、エヴァに乗っている自分のようなものではないのか。
 40歳が重いなんてへそが茶をわかすよ。14歳、思春期の方が重いに決まってんじゃん。50歳も過ぎてご覧。もう生きる責任なんて、何もありゃしない。いつ死んだってかまやしないんだ。あとは、子供たちがより良い未来を送れるように努力することぐらいしか、実質的にプラスの生き方なんかないよ。ホント、デヴィッド・ブリンを見習ってもらいたいもんだね。
 そもそも14歳が社会的存在ではなく、心も体も未発達という社会通念を保坂は支持するのだけれど、そして40歳が持つあいまいな不機嫌さを持っていなかったというのだけれど、それならやはり幸福な中学時代を送っていたのだろう。未熟なのはいつでも未熟で、今だってそれなりに未熟だが、中学生の時というのは、極端な自意識に比して、度外れて未熟なので、そして自分でもいろいろとことがうまく運ばないことから、その未熟さに薄々気づくのだが、それでも経験と知識の欠如はどうしようもなく、不安を抱えながらもそういう自分でいるしかなく、それゆえに中学生時代は半ば不機嫌であり、まっぴらごめんなのだ。保坂は似たようなことを言いながら、それを肯定しているのがわからん。